ドクター鈴木・あめぶろ研究室 -5ページ目

お見舞い

 入院中の女房を訪ねて、子供たちを「疎開先」の実家から受け取って病院に向かった。火曜日に入院して以来久しぶりなので、娘は会う前から目がウルウルしていた。気持ちは良くわかる。


 女房の病名や詳しいことは良くわかっていないが、目の裏(鼻の奥)にポリープができていた。それを切除するという手術を受けた。


 目の奥、と聞いたときには驚いたが、鼻の穴から内視鏡のようなものを使ってやる手術で、手術としてはそんなに大変なものでは無いらしい。「蓄膿症の手術と同じような感じと理解してください・全身麻酔でやるので寝ている間に終わります」と主治医はおっしゃっていたが、私は子供の頃知り合いのお兄さんが蓄膿症の手術を受けて(当時は上唇の裏側から顔を切り開いて行う大掛かりな手術だった)いたので、蓄膿症の手術というと結構大変なもの、というイメージがあった。だからいくら「内視鏡で寝ている間」でも私だったらイヤだといったかもしれない。しかも「顔」をいじられるわけだから女性としては大変な決心が必要だったに違いない。手術を受ける決心をした女房は凄いなあ、と感心している。


 昨夜から彼女のケータイからのメールが届くようになり順調に回復しているのは把握していたが、なかなか病院の指定の面会時間にはいくことができなくて、ついつい今日にずれ込んでしまった。昨夜彼女からのメールが強烈だったので、今日は面会時間開始と同時に病院に駆け込むような時間配分で向かったのだ。昨夜のメールにはこう書いてあった。


 他のベッドの方はだんなさんとかお見舞いに来てくれているのに私のところにはあんたは来てくれない。もう、私は独身です、って病室のみんなに言おうかしら!


 ということなので、結婚はしているし実は中学生になる娘もいるのだ、ということを相部屋の人に知らせる意味もあって、今日こそは見舞いに行かなければならなかったのだ(泣)。


 病室では彼女は鼻に大きなガーゼをあてて寝ていた。私たちの姿を見るや否や「手術後、麻酔から醒めたときには痛かったがその後痛みは少ない。点滴も終了。ただし、ポリープを除去した部分と思うが鼻血が止まらなくてとても息苦しい。」と訴えた。その後子供たちと話しているとだんだん気持ちが落ち着いてきたのか、冷静に話ができるようになってきた。


 何をおいても、女房にとっては子供たちが最良の薬だったのかもしれない。もっと早く連れて行ってやればもっと早く治ったのかもしれなくて申し訳なく思ったりした。


 一般的にこの手術は、術後一週間から10日ぐらいで退院できるのだという。彼女は、「8月いっぱいに退院して2学期からは自宅で」ということをもくろんでいたようだが、少し回復が遅いようで(って何しろ若くないんで・・・ぼか!←殴られる音)、退院は9月にずれ込むかもしれない。


 娘が、「大丈夫だよ、新学期始まってもちゃんと自分で学校行けるし。ちゃんと治ってから戻ってきて」と。お姉ちゃんだなあ、よく言った。こういう経験も重要だったのかもしれない。女房の病気をダシにして恐縮だが。


 明日の日曜日も弁当持参で朝から病院に詰めていようと思う。他の患者さんに迷惑にならない範囲で。ではそういうことで。 

お昼

 キャンパスに住み着いて生活をしていると興味の中心は「食事」、いわゆる「学食」である。私のブログでも過去に何度も生協食堂のことについて書いた。


 新しい職場に移ったがここも当然キャンパス内にあるわけで環境は少しも変わっていないはずだったのが、なんと、教職員はあまり学食を利用せず、外部の仕出し屋の「給食」を取っている。一食あたりの料金も比較的安く、生協食堂の脂ぎったそれとは違ってヘルシーメニューもあり、私は初日からそれをいただくことにした。


 が、いくら安いとはいえ、一食340円である。ちょっと面白くないので今日はいたずらをしてみた。


 電話帳で市内の仕出し屋をチェック。現在の職場に入っている会社とライバル関係にあるところをリサーチしてから電話を入れた。


 「今○○給食さんのを取っているんですけど、今度別のところに変えようと思っているので、一度メニューを持って来てください」


 すぐ来た、営業氏が。ひとしきり自社のPRをさせた後こんな提案をしてみた。


 「試供品ということで、来週一週間、サンプルを持ってきてよ。」


 あっさり営業氏OKを出す。つまり来週一週間はお昼タダだ。私だけじゃなくて今○○給食さんのを取っているうちの学科の職員全員の分(8食)が一週間タダ。○○給食さんには来週月曜日の朝「他社から一週間取るから、今週は注文なしね。」と電話しなければならないが、そんなのは手間でもなんでもないぞ。


 こういうのを食券乱用?(それをいうなら職権乱用)。賄賂を貰って汚職事件?(お食事券)。


 来週の○○給食さんの出方も楽しみである。ではそういうことで。

追加レポート

 今月頭に各地で集中講義を行ったがその際の「単位認定試験」の成績が今一歩だった学生からのレポートが届いた。


 メルアドがとんでもないところに売り飛ばされて痛い思いをして以来、電子メールとかの媒体でのレポートは原則受け取らないようにしているので、郵送である。もちろんブログにだって公表していない私の住所は学生にも開示しないので、レポートは教務課経由となる。確か、学生たちにはこんな指示をした。


 追加レポートの提出について
 提出は8月21日必着で教務課宛。期日を過ぎたものについては受け付けない。


 で、教務課は22日に小包にして当方に送り出したのだ。その束が今日、届いた。今から採点である。


 基本的に私は全部のレポートを読む。左上から右下まで斜めに一直線に。所要数秒。だいたい書いてあることはわかる。即座に点数がつく。一人当たり10秒もあれば充分である。時々精読したくなるレポートがある。こういうのはじっくり読むから10分ぐらいかかるか・・・。そんなこんなで、ま、今夜一晩で一通り読み終えるだろう。


 これからの問題は期日を過ぎた分である。実は23日に教務課で3人分のレポートを受け取ってしまったらしい。ひょっとしたら明日も受け付けるかもしれない。

 そういうのは読見たくないし点を付けたくない。


 教務課も学生に泣きつかれると甘いから受け付けちゃうんだよね。ということで、こっちも採点票(修正願)を凄く早く出しちゃう。間違っても五月雨式に修正版を送ったりできない。追試・追レポートによる点数の修正は一回しかできないのだ。だから明日には投函してしまおう、24日締め切り、と明記して。


 しかし必修科目だしなあ・・・4年生の再履修分だけはなんとかしてあげたい(そうしないとこの瞬間に卒業できないことになるし)。揺れる、優しい先生であった。


 読者の皆さんのご経験はどうだろうか。締め切りを過ぎて追レポートを出してきた最終学年必修科目の成績、温情で合格になるのだろうか・・・。落とされた経験のある方、是非体験談を語ってください。ではそういうことで。

新職場初日

 新しい職場の採用が決まったとき、「キリのよいところで9月1日に着任しますから」と申し上げて「ふざけたことを言うな、今すぐ赴任しろ」と怒られたものだが、その理由が今日わかった。


 今日はその新職場初日。いきなり所属の長たる教授から辞令を拝受して気持ちも新たに窓際の机で執務開始。いやこっちの大学では私の仕事的には大学院の講義もないからバリバリに夏休みなのであって、執務といってもあまり大きな仕事は見当たらない、はずなので結構気持ちが緩んでいたわけだが、今日は結構タイトであった。


 午前中は組織全体の会議、いわゆる「教室会議」である。そこで正式に他の先生方に紹介されて、晴れて仲間入りとなった。終了後所属の長が「午後3時から、ほかの先生には公開していない会議があるからあまり外部に知られないように出席すること」と案内をくれた。今日は朝も午後も会議なのである。あまり生産性の感じられない会議は好きではないのだ、まあ初日だから文句言わずに参加。


 さてその「午後の会議」なのであるが、これがまたとんでもない会議だった。


 9月から採用する助手の面接なのだ。私から見て微妙に直属にはならないのだが組織的には私の部下になる人材である。新スタッフたる私にどうしても23日までに着任してもらいたかった理由はこの会議に出てほしかったからなのだそうだ。っていうか面接始める前に「鈴木先生のご意見を取り入れて選考をいたしたい」と所属長教授のツルの一声!!


 いや、最高に面白い!今までは大学に採用される側として面接に参加してきたがこれからは面接する側じゃないか!


 もちろん企業経営していた時代には社員の面接をした経験があるし、面接対策のゼミナール講師もしたことはあるが、あくまでもそれは民間レベルでの話。今まで何度もトライして玉砕し続けたアカデミックベースの面接はもちろん「する側」としては初体験なのである。


 それでも選ぶのは助手ですよ。私は教授を狙っていたわけだけど、助手の公募に応じる人たちのレベルが高いこと高いこと。私の業績なんか及ばないんじゃないかというような方が面接に来ている。当然その中の一人しか採用しないわけだから、ほかの何人かの方は涙を飲むことになるわけだ。いや気の毒だ。いやよく私が合格したなあ・・・やはり何かの間違いだったのか・・・。


 あぁ、間違いが判明する前に着任してしまってよかった。ほっとした一日だった。ではそういうことで。

 

国際会議

 今朝出勤すると「お昼に会議。外国からお客さん。昼食出ます」とメッセージがあった。本学は本当にこういったことを急に設定する。でも暇なので(?)参加することにした。


 昼前の講義(何しろ最終講義である)が少し伸びてしまった関係で会議開始には遅刻したが、会議室に出向くと参加者がちょうど昼食に手をつけていた。室内を見渡すと皆さん上手に箸を使って食べている。すみません、遅れて、と挨拶をするとお客さんがた一斉に手を止めて立ち上がり名刺を持ってやってきた。


 おぉ、本学の名刺も今日が最後だ!


 そう感激しながらも、「客員助教授」の名刺と皆さんの名刺を交換することになった。


 読めない。いただいたのはハングルの名刺である。でも、「チョイといいます」「アンですよろしく」などと先方は日本語が上手。こちらも知っている限りの韓国語で応戦するが、余り通じない。


 会議の趣旨を良く把握していなかったが(ってそんな状態で会議に出るなよな!)、先方は韓国の国立順天大学のご一行様で、学内にいわゆる知的財産本部(韓国式には産学協働団というらしい)を作ろうとしていて日本の先進例を視察に来ている由。


 いや間違っても本学は先進では無いぞ!


 しかし会議に出て日韓のこの問題に関する考え方の違いが良くわかった。


 日本では「外部資金係」とか「研究協力係」とか産学連携の窓口がいっぱいあっておまけに知財本部などというインターフェースが存在している。韓国ではこういった業務は全て「協働団」が一元管理している。また、韓国の大学の先生方の特許は原則先生の管理(日本の国立大学法人では大学に権利が自動的に委譲される)ではあるがそれを民間に売った場合の税金は40%も取られるので、先生方が自発的に権利を「協働団」に譲渡し実施料の20%を団から受ける形(税金が安い)を取るのだそうだ。面白い仕組みである。私の知的財産本部での仕事は大学帰属の特許を民間移転することをやっているのだがなかなか移転先が見つからない。韓国ではまず先に先生が譲渡先を見つけてきて団に譲渡、という。つまりスキームも違う。


 なんだか本末転倒な話だが、韓国の先進例を聞いたら見習うことがいっぱいあるじゃないか!


 で、会議の後半はお決まりの愚痴の言い合い。韓国側では、「若者の首都依存が強すぎ、進学も就職もみんなソウルを目指す。順天大学は地方にあるので人材も集まらないし卒業後地元に人が残らないと」。日本でもちょっと前まで東京や大阪に人が集まったが今の学生は比較的地元志向だからという話をしたらうらやましがってくれた。


 それにしても韓国の先生方日本語がお上手である。帰り際、一番日本語が堪能先生にどちらで日本語を、と伺った。


 東京工業大学で化学を専攻し学位を得ました。


 なんだ、TITなら技術移転の先進であるぞ。本学に来なくても母校で全部わかるんじゃないの?と心の中で思った。で、「化学を専攻」が気になってさらに化学はマテリアルですかプロセスですかと細かいジャンルを伺った。


 バイオ系触媒です。


 あっちゃー!私と同じバックボーンじゃないか!驚いた。そのあとはお互いの専門に花が咲いてしまったのは言うまでもない。どこにどんな縁が転がっているかわからんなあと思った会議であった。


 技術移転関係の会議だから、と参加者に私を入れてくれた大学関係者にも感謝。本学のお勤め最終日(とはいえ、引き続き兼業で大学の籍は残るが)の良い経験だった。ではそういうことで。

ついに見つけたぞ、マーリン

 読者諸兄は、こいつを見たことがあるだろうか↓。


マーリン


 ウエブ上でとても目立つ(=とてもわずらわしい)マーリンである。


 私自身あちこちウエブサーフィンしている中で何度もこいつに遭遇しその都度目立つ(=わずらわしい)のでいったいこいつは何者なのか、と煙たく見ていた。どんな風に目立つのか、はここで確認して欲しい。


http://www.syatyu.net/shop/index.cgi?s=537&id=s2148505


 とても目立つ(=とてもわずらわしい)。そして迷惑である。


 最初は何かのウイルスに感染したのではないか、と思った。ウイルスチェック系のものには引っかからないし、ポップアップブロッカーのようなものもすり抜けるのだ。どんな仕掛けなのか、ということはかなり興味があった。でも、探しても、これが仕掛けてあるサイトはあってもどんな方法で仕掛けるのかについて言及しているものは見つからなかった。


 同じようなコンセプトのものは、Officeのツールの中で時々現れて使用法を説明してくれるイルカ君(正式名称は知らない)とかで登場するからその派生の技術なのだろうな、と想像はしていた。しかしその正体がわかり始めると、いろんな手がかりがつかめてくる。


 なにも3,000円払って買うようなものでもない。Microfoftに標準装備の機能なのだから。でもいざ自分でやろうと思うと結構面倒、アプリケーションを買ってきたほうが良いのか・・・。


 手品と同じ事で、仕掛けがわからないうちはとても興味があったがネタがわかると面白くなくなってしまった。自分のサイトに導入しても訪問者がとても迷惑に思うような代物じゃ意味ないし。


 ゲンキンなもので、また何か新しいネタを見つけたくなっちまった。ではそういうことで。

引越し準備

 急な話だが女房がポリープ摘出手術を受けるために入院することになった。私の新しい職場への「初出勤」の23日が手術の日である。22日に入院する。


 不幸中の幸いではあるが今は夏休みである。彼女の入院期間は概ね一週間程度だそうだから子供たちの休みの間には退院できるであろう。そのため子供は私の実家に疎開させることにした。学校に行く時期だったら疎開なんてさせられないから地獄であったはずだ。本当に不幸中の幸い。


 なんとも情けない話で、私は自力(女房なし)で子供の面倒を見る自信がない。何しろ朝早くから出かけるし帰りはいつも遅い。彼女の実家も私の実家も商売をやっている関係で、昼間我が家留守宅で子供の相手をしてもらうわけにはいかない。しかも現在我が家は「借家生活」中。留守に来て頂くにしても不自由な生活となる。


 そこで子供たちを実家に預けることにした。


 女房の入院用の支度、子供たちの「疎開」用の支度。私も何日かは実家に帰らなきゃならんだろうからその支度。今日は朝から「ミニ引越し」で我が家は大騒ぎである。


 実家は実家で受け入れ準備である。孫が長期に滞在したことはないから手入れ不足。例えば風呂、例えばトイレ。老夫婦だけで何十年も生活していたから「チビの視線」に欠如している。80歳のオヤジは今日一日日曜大工、オフクロは大掃除だったそうだ。まことに申し訳ない。


 さて、私は女房の留守中ちゃんと生活できるのだろうか。出張でホテル住まいすることはあるが自炊はしないし洗濯もしない。昼間部屋を空けている間にベッドメークやら掃除が完了する環境。今回はある程度自力でやらなきゃならん。


 借家仮住まい生活で家は狭い。どこに何があるかは承知しているはずだが果たして必要なものをうまく操ることができるだろうか。


 さっきワイシャツのアイロンがけの方法を教わったがどうも心もとない。とても不安な一週間が始まる。


 誰かボランティアで助けに来てください!ではそういうことで。

書類作りに命を賭ける男

 来週からの勤務先に少し顔を出した。私の執務用の場所は既に確保されていて、スペック的には物足りないもののパソもスタンバイ。正式に辞令をもらうとメルアドが申請できるのでそうしたらパソの設定をしてメール開通である。WEB関係は既に閲覧可能な状態である。


 相も変わらず私の居場所は『窓のすぐ横』の一等地である(苦笑)。しかも前の勤務先とは違って南の窓に面しているので、背中が温かく、お昼寝にはぴったりかもしれない(←上司の先生方ごめんなさい)。


 私の勤務するセクションの事務員のお嬢さんにもちゃんとお菓子を持っていって挨拶をしておいた。「今度赴任する三谷幸喜です」と。彼女ちょっと首をかしげて「タケヤマですね、先生」。ありゃ、今度の勤務先でもそれかい!


 正式ではないが先輩(?)がたに一通り「23日から勤務します鈴木ですがよろしく」とご挨拶もした。既にセクション内には手配書は回覧されているらしく、私の素性は把握されている模様であった。逆のデータがなく困るのであるが(じゃあ先輩方のデータ下さい、というわけにもいかないので)、ちょっとづつ口説き落としてお近づきになる必要があろう。


 その中で、猛烈な勢いでキーボードを叩き続けている先生がいらっしゃった。人がご挨拶をしているのにもかかわらず手も止めず視線も合わせず耳と口だけ当方に対応、である。イヤだなあ、こういうの。コミュニケーションの基本ができてないじゃん。5秒で良いから手を止めろよ!


 でも何やっているのか猛烈に気になったので彼のパソを覗き込んだ。表計算用のソフト「X」のシートが見えた。表計算で「猛烈な勢いでキーボードを叩き続ける」必要があるのかはわからん。それでも彼は手元のメモ書きを見ながらなにやら打ち続けている。


 センセ、何の分析なさっているんですか?


 仕方がないから聞いた。そしたらこうだ。


 昨日のお客さんとの打ち合わせ議事録をまとめているのだよ。時間が経つと印象薄くなるし覚えているうちにメモっておかなきゃね。


 え?議事録作るのに表計算ソフトですか?と思わず突っ込みたくなった。


 でもよくよく見ると、画面の下のほう、シートに命名するタブの部分がぎっしりと並んでいるのだ。この先生は日記をこのようにつけているみたいだ。本人はかなり自己満足の模様。


 タブをクリックすればすぐ過去のデータが引用できるし、こうしておけばペーパレスだね。鈴木センセも是非導入してください。


 イヤだ。私は思わずそう言いたくなった。昨日の記録を今日書く、という事自体変だし、そもそもそのような使い方をするなら系列の「データベースソフトA」とかを使うだろうよ。いや、キャンパス内専用に閉鎖型のブログを使おうかと思っているから勤務記録簿以外の記録はそっちでやるだろう。表計算ソフトの使用は間違いじゃないの。


 ま、最初から波風立ててもなんだから、笑って生返事をしておいた。そして彼のことを「書類整理に命を賭ける男、しかもエクセルで!」と密かに命名することにした。


 今度のキャンパスにはどんな人種が住んでいるのだろうか・・・とても楽しみである。ではそういうことで。 

まる子、に会いに行った

 静岡の実家でのんびりしていたときにふと「ちびまる子」の話になった。「まるちゃん」のモデルとなった「さくらももこ(本名:三浦 美紀)」さんは静岡市清水区のご出身であるからご同郷である。彼女は長谷川健太と同級なので私のほうが少しだけ年上である。


 出かけるついでがあったので家族でエスパルスドリームプラザの「ちびまる子ちゃんランド 」に立ち寄った。


 入場料を取られるとは思わなかったが、親子4人で1100円のご出費で済んだ。いやまあ1100円でよく楽しませてもらえた。お金払っただけのことはあった。


まるちゃん


 子供たちはテレビで流れるシーンと同じ世界が広がっていることに喜び、私たち中年は(漫画の設定である)1970年代後半の静岡の雰囲気が再現されているランド全体の雰囲気に喜んだ。


 あ、サザエさんのうちにあるのと同じ、昔の「ダイヤル式」の黒い電話機が展示されていたが何でこんなものがと思ったら今の子供たちはプッシュ式の電話しか知らないのだよね。指を突っ込んでまわす、という作業を実演したら受けた受けた。それだけこっちは歳をとったことを実感させられたわけだが。


 さて、いよいよ来週からは新職場での新天地。某大学の常勤としてご奉公が始まる。今まで割りと安気に過ごしてきたが、人生の一つの正念場かもしれないからと決意も新ただ。ではそういうことで。

戻りました

 お腹の調子も治り、交通渋滞もそうないままに、無事さきほど、帰宅した。おそらく読んでいないと思うが台北の許さん助けてくれてありがとう(今日は仕事を休んで中正機場=台北国際空港まで送ってくださった。多謝!)。


 今年の夏休みはちょっと豪華に家族4人中華料理三昧の旅行とした。これから子供たちが大きくなってくると、やれ部活だ受験だデートだコンサートだ、ときっと家族旅行などしてくれなくなるような気がしている。娘が「海外だったら行ってもいいよ」と生意気を言い出したのでそろそろ危険が危ない(←変な日本語)。


 私はパソコン市場とか、台湾新幹線の現場見学とか、前々からチェックしたいところがあったのでところどころ家族とは別行動だったが・・・。だから帰りの飛行機で家族から怒られたが「家族そろって旅行」をぶち壊しているのはパパではないか、と。図星。いや、昨日の腹痛も凄かった。単なる食べすぎなのでよかったが、何かウイルス性のものとかだったら「関空に到着しそのまま隔離」という感じでもあったし。


 腹痛(食べすぎ)でかかった現地の治療費は、投薬分まで含めて全てクレジットカードにくっついている旅行保険でカバー(とりあえず立替払いをしてあるのだが、後日診断書と領収書を保険会社に送れば口座に戻ってくるらしい)できた。いやー「●●損保」さんありがとう!実家の父親はこの保険にくっついている「親族呼び寄せ」が適用されて自分も台湾旅行できるかも、と昨日からパスポート出してお呼びを待っていたようだったが・・・


 台湾は久しぶりだった。


 子供が生まれてからは、家族との海外はハワイとオーストラリア、シンガポールのみ。その前は、香港をベースに女房と二人であちこち旅に出たものだった(一番の思い出はやっぱアブダビだったかなあ・・・)けれど・・・そんなわけで十数年ぶり。誤解を恐れずに書くと、この時期一番安心な海外は台湾しか考えられないから・・・。


 台湾には友人も多い。私が中学生のとき、父親の会社に台湾からの研修生が勉強に来ていた。私は英語はぜんぜんダメだったが彼らに教えてもらった中国語は今でも飲み屋では不自由しない程度のスキルを誇っている。またあちこちの大学でお世話になっている関係上、中国語をしゃべる留学生とたくさん知り合ったが、やはりその中に台湾の方もたくさんいる。私の友人、父の教え子、成功した人もこれから成功するであろう人もいるけれど、私ごときが旅行に行っただけでなんだかんだ世話してくれてうれしかった(逆の立場でそれができるかどうかは疑心暗鬼だ)。うちのチビどもは、そんな私の知り合いの子供と意気投合(って、先方の子供は別に日本生まれじゃないから言葉の壁はあるのだが)。今後も何か良い関係が構築できそうである。


 一生懸命働いて、また家族で旅行したいものだ。ではそういうことで。