ドクター鈴木・あめぶろ研究室 -6ページ目

Suzuki Taipei

Dr. Suzuki wrote;

H: 20060816ameblo.txt


 このエントリーはアメブロの「メール投稿」のシステムを利用している。果たして無事反映されるかどうか、とても楽しみである。


 いや、食いすぎてしまったのだ。根っからの貧乏性なので、毎日三度のご飯が大好きな『中華料理』という関係上、かなり限度を超えて大食い三昧の日々である。台北滞在三日目の今日、遂にドクターストップとなった。


 今日は朝から胃が変な具合であったのは確かだが、電脳市場(パソコンマーケット)に行った際に遂ににっちもさっちもいかなくなった。胃が痛いのである。トイレに飛び込んで内容物を全部出したつもりであっても、いつまでもさしこむように胃が痛い。食べ物そのものに起因しているのか冷房の浴びすぎなのか、原因は良くわからないが、それでも、全く常軌を逸した私の胃(あるいは腸)。


 這いつくばって宿に戻ったがこういうときに限って日本語がわかるやつはホテルにおらず、日本留学経験のある「きょ」さんに電話をしてSOS。彼の(ちょっと頼りない)通訳で病院に行った。


 センセ、暑気あたりですよ。お薬貰って飲めばすぐ直るらしいよ。でも私の家には医者の薬より良く聞くのがあるから飲んでみるか?


 いや、私は漢方は駄目(全く効かない身体)なので、医者の処方する「西洋薬」をいただくことにした。


 あぁ、おなか痛いよぉ!医者の薬効かなかったら漢方にするか・・・。


 ということで、このエントリーは宿の自室でノートパッドに作成したテキストファイルをUSBスティックにセーブして「きょ」さんに渡し、これこれこのアドレスにメールで送ってください、とお願いしたものである。アメブロの「メール投稿」の機能を利用したものだ。


 ちゃんと反映するだろうか、それとも2006年8月16日は更新が途絶えるのだろうか・・・。かなり不安であるが結果が楽しみである。ではそういうことで。

台北にて終戦記念日を迎えた

 終戦記念日の今日、我が家は台北で夏休みを過ごしていた。このエントリーは台北市内のネットカフェから「時間指定投稿」で書いているものである。コメント返信は帰国してからである。


 やると思っていたが小泉氏の靖国参拝は今日15日に決行された。で、台北でもお昼のニュースでやっていたが、信じられないほど、当地では半日のエッセンスがない。


 この記事は台北時間の15日夕方書いている(日本時間で23時に反映するように投稿予約してある)のであるが、ニュースで「純一郎」がその場所に行った事も報道しているし、日本国内の各種反応も同様である。


 今日は宿舎に台南に住んでいる友人(20年ぐらい前にわが実家に留学していた)の「りゅう」さんと「きょ」さんが訪ねてきてくれたが、彼らのスタンスは「戦後」とかといった過去のスタンスではなく、これからの日台間の話をどうしようということであった。もちろん戦後処理も避けて通れないが、それよりもこれからのことを考えている彼らは建設的だった。それぞれの子供たちどおしは言葉が全然通じないがしっかり友達になっているし。


 ま、親同士が友人関係だったら子供たちだって先入観なく友達になれるのだ。


 政治の問題は複雑で私のような凡人にはわからないだろうが、子供たちレベルでは「人類は兄弟」である。経んな垣根はないに限る。


 国際交流は難しいが、変な先入観がないのは結構なプラスになることが判った夏休みではある。ではそういうことで。

 

電話に出たら

 台北市内のネットカフェは日本語完全対応なのでやりやすい。今夜も「予約投稿」機能で22時に自動エントリーとなる。コメントの対応は帰国までできないのであしからず。


 今日14日午後実家の父親から国際電話があった。何事かと思ったら愚痴である。


 実家は公共事業関係の仕事を細々としている。お客さんはお役所である。私も仕事を手伝ったことがあるのでその流れは知っているつもりであるが、今年もまあ、父の会社の『お得意様』は好き放題である。


 父の愚痴はこうだ。


 9時ごろに実家の電話が鳴った。なんだろうと電話に出てみると役所(=お得意様)から。いきなり、「会社に何度も電話しているのだが誰も出ない。あんたの会社はいったい何様のつもりだ!」と罵倒されたそうだ。盆休みで社員はいませんので自分がすぐに会社に行きますから、と電話を切ってとるものもとりあえず電話を待つと、電話のベルはなかなか鳴らず、次にベルが鳴ったのは12時半だそうだ。


 用件は今すぐ庁舎に来い、と。


 父親は電話を待ってまんじりともせずに昼食もとらずにいたため、「昼を食べて行きますから」とお願いしたにもかかわらず、「客が来いと言っているのだ、すぐ来い。車なら10分で着くだろうから5分以内に来い。」とめちゃくちゃな指示。


 80歳の父親に、走って来いというのか。当然父親は先方指定の時間に遅れた。


 役所の担当者は30歳前の小僧だったそうだ。息を切らせて平身低頭役所に駆け込んだ父に小僧は、 「良いなあ、民間は休みで。こっちは仕事だよ。悔しいからそうやって一社づつ呼び出しているんだ。ま、10分遅れたけどあんたのところは来たから、ま、これからも付き合ってやる。」


 父親は、それでもじっと耐えて帰ってきたそうだ。


 会社に帰ると父親の留守を預かっていた母親が青い顔をしていたそうだ。父親が役所をあとにするかしないかのうちに別の役所から呼び出しの電話。すぐに対応しなければ指名停止にする、とすごまれたそうだ。やはり、「あんたらが勝手に休みにするのは構わないがそれは役所を馬鹿にしてのことか?」と啖呵をきられたらしい。父親は切れてしまった。


 父ちゃん母ちゃんカンパニーに何たる仕打ち、地域を下支えしている土建屋ははいて捨てるほどある、ジジババ会社は消えてなくなれ、ということなのだろうか。「役所も休めよ、盆ぐらい。いつもだってろくに仕事していないくせに!」って言っても無駄だろうし。両親はもう、仕事に対するモチベーションは無くなったという。


 愚痴も出るわな。良かったなあ、私は日本を脱出していて。実家にいたら役所に消火器持って殴り込みをしていたかもしれない。


 日本の将来は真っ暗だな。役所(役人)がこうじゃあ。ではそういうことで。

機内持ち込み

 お盆休みは少しタイミングをずらして近場の海外である。実はこれから出発なのである。(おそらくこれが投稿反映された時点で目的地には到着している。予約投稿システムを使っているのだ)


 昨年英国に出張したとき、サミット直後の地下鉄・バスの同時テロに遭遇したのだが、それに懲りて近場にしたのに、今年も同じような状況。持ち込み手荷物に大幅制限がある。


 要は、財布とパスポート以外は機内持ち込みできない、ということが正解に近い。


 でも厳密なことを言うとこれで充分だと思う。手荷物をいろいろ持ち込んでも基本的に飛行機に乗っている間は使わないものの方が多い。家族連れの海外旅行でパソコンを使うことも考えにくいし、歯磨き粉なんかは今まで一度も機内で使ったことがない。


 もっともこれは男の立場での考え方なのかもしれない。女房はハンドバックそのものが持ち込めないことをかなり不満に思っているようである。あの中はドラえもんのぽっけ状態で、いろんなものが入っているのを目撃したことがある。確かに便利な袋ではある。今回は期待の胴体に預ける大きなケースの中に押し込まれてしまっている。


 子供たちも、ゲーム機が持ち込めないのを不満そうである。ま、海外旅行まで行ってピコピコやることはないのだから、最初から家から持ち出さずに自宅で封印である。


 ということで、これだけ警備が厳重ならば逆に今が一番安全なのかもしれない。無事に飛べることを祈って空港に向かうことにする。なお、例によってパソは持参するので出先からもアップする予定。


 行きの飛行機が爆破されたらこのエントリーは遺稿となる。財産分与の方法であるが家族全滅だと思うので特段考えていないのであとは野となれ山となれ?


 無事帰って来れますように、ではそういうことで。

たこさん・いかさん・かもめさん

 夏休み企画として近所の児童館で「科学教室」が行われているのだが、実は私もその講師として委嘱され先日、中学生ばかり30人ほどのクラスで授業を行ってきた。


 私の専門は水系の環境であるが依頼されたお題は「電圧と電流」つまりオームの法則である。自分自身電気は苦手なのであるが、それでもそれなりに克服してきたことなので自分の経験を元に話をすればそれなりの効果は得られるだろうと思った。


 自分自身が電気が苦手だった最大の理由は、「電気が流れている」ということが目に見えないからではないか、と思う。私は学生時代に「電気の流れ」を自分なりに可視化して理解をしてきたことがあったので、まずそのあたりの話から始めた。


 バケツの水を雨どいに流す。


 流れ下る水の勢いが電圧であり、水の量が電流である。雨どいの勾配を急にすれば電圧が増加したことと同じで、雨どいを平行に何本も並べれば一度に流せる水量が増えるから電流が増えることになる。原理原則はたったこれだけである。これだけで電圧や電流が理解できるとは思えないが、目に見えない電流を目に見える水流に換えることで、発揮しなければならない想像力が減少する。


 もちろん回路中の電球は「水車」、スイッチは「水門(バルブ)」、電池を直列にするなら雨どいを急勾配に、回路を並列にするなら雨どいを途中で二股に分岐させればよい。で、実際に水を流して水車を回してみせる。


 終わってから児童館の先生が、「来年は流しそうめんで教えましょう」と次なるアドバイスをくれた。いただきである。


 さてこれらの作業で一通りの学習内容はOKであるが、このあとオームの法則を理解させる課程が残っている。これは、実際に実験をやって、電流・電圧・抵抗の関係を求めるのが王道なのであるが、時間の短い「講習」では勢い、「公式を覚えてもらう」しか手がない。


 高校生相手だったら、こんな語呂あわせで教えることができる。


 いいわ 愛ある
  E= IR


 電圧=電流×抵抗。これを元にI=とかR=も変形できる。


 中学生ではこれは少し厳しいと思った。そこで、こんなのを披露してみた。


 たこさん・いかさん・かもめさん


 である。


 まずタコはその形からΩ。お弁当に入っているウインナーのタコさんを連想すればΩの形は導き出せる。次はイカさん。ちょっと形が違うが、胴体の部分がとがっているのを連想させてA。これらは海の中にいる。空にはかもめが舞っている。その姿をVと表現してみる。



   V
 ─┬─
 Ω│A


 海の中にはタコとイカ、上空にかもめが舞っている。


 V=Ω×A、Ω=V/A、A=V/Ω


 つまり、単位の相互関係を図案化したものだ。子供たちは大喜びでメモしていた。


 こんな教え方したら中学理科の先生に怒られるかもしれないが、暗記できなくて悶々としているよりはこれで一発で覚えて理科好きになってもらったほうが良い。児童館の先生も「いただき!」って顔していた。お互い様である。


 苦情は受け付けない(苦笑)。ではそういうことで。 

あんまり急いでごっつんこ

 市内の某会社にて打ち合わせをしていると、表通りでブレーキ音がしたあと鈍い音が二回。音を聞いただけで事故だとわかった。


 窓の外を見ると、近所の教習所の車に軽トラックが追突、その弾みで教習車が押し出されてその前のワゴン車に衝突、という玉突き状態。片側2車線の中央寄りのレーンでそれが発生したわけだ。道路には塗膜片とかウインカー等の破片が散乱していた。


 興味は教習車である。運転していたのは学生風の男性。助手席にいたのは教官らしき女性である。まずは教官。おろおろするばかりである。教官は車を降りるとすぐにどこかに携帯で報告。いやぁ、それは無いでしょ、運転席にお客さん(教習生)乗せてるでしょ。野次馬の私たちが教官に、「運転代わってあげて車を寄せたほうが良いのでは」と申し上げて初めて、彼を車から降ろし運転を代わった。


 こういうとき一番しっかりしなければならないのが運転のプロたる教官でしょ!のろまな亀を一人前に育てるのが仕事でしょ。情けないなあ、何もできないなんて。事故の当事者になれば、正しい判断はできなくなるのも人間だろうけれど、逆に、そんな突発事態にちゃんと対応することを教えるチャンスなのでもあるから。


事故った教習車


 関連する3台が脇に車を寄せたところが、私の訪問先の会社の目の前。ケータイのカメラしか持ち合わせていなかったが、会社の窓越しに撮影(ガラスにある防犯用の鉄線が写りこんでしまったが)。教習車の手前左向きが教官の彼女。ずっとケータイを見たままだ。しっかりしろ、センセ!



 5分もしないうちに、教習所の関係者と思われる男性が登場。前後して、ワゴン車の保険の関係とおもわれる方も駆けつけた。それぞれてきぱきと事故処理を始めた。窓越しに彼らの話を聞いていると、なかなか面白い展開になってきた。何とか(警察をいれずに)示談に持ち込みたい軽トラックと、ことをなるべくオオゴトにしたいワゴン車(ワゴン車には全く過失は無いのだから)。軽トラックから見ると被害者だがワゴン車から見ると加害者になる教習車がどんな対応に出るのか興味があった。野次馬の予想を見事に覆して、事故処理担当の教習所の男性が放った手は素晴らしいものがあった。


 救急車呼びます!


 数分後(ってすぐ近くが消防署なのよ)救急車が到着、首にコルセットを巻かれ、教官と学生、二人そろって仲良くご搬送とあいまった。実況検分の前にトンズラか。一番の被害者を装っちゃうのか?とにかく仮病でも何でも無理無理に人身事故に持ち込んだわけだ(鞭打ちの場合現場では症状が出ないこともあるから病院に行くのは確かに正解なのだが、今のタイミングで救急車呼んじゃうの?何かくさいぞ。)。軽トラックのお父さん、もう逃げられないぞ。


 さて、興味あるのは教習車、28号車だ。このあとこの車を予約していた別の教習者は良い迷惑だろう。ま、大きな教習所なのでこういうときのための代車とか代わりの教官とかは用意してあるのかもしれない。だとしても、事故車に乗り合わせていた学生君が気の毒なのは変わらない。少なくとも今日の教習はこれで終了。仮に鞭打ちとかになっていたとすると、この夏はもう遊びに行けないばかりか免許取得もお預けになるだろう。えっと仮免許中に事故起こすと、仮免が免停になったりしなかったでしたっけ・・・(うろ覚え)。教官も、助手席でちゃんとブレーキ踏んでなかったから玉突きになったのであって、彼女も業務停止?


 怪我がたいしたことなければよいのかもしれないが彼らにとってはとんだ災難だっただろう。


 まだまだ日中は暑い。暑さで思考力判断力が低下するかもしれない。運転中の皆さんはどうぞお気をつけて安全運転を。ではそういうことで。

カウントダウン離任

 某大学の公募、結果は「採用」である。『教授』には成れなかったが、念願の「常勤」である。今日は今お世話になっている某大学に経緯を説明し、「基本的に8月いっぱいで離任」について承認をもらった。新学期が始まる前に消えていくことになる。学生の面倒は、同僚にお願いすることにしたが実際は、土日や祝日、勤務時間外にネットなどで、実質上の指導教官の業務はできる。


 私の前任者も、年度途中で消えた。いや前任者は「4月いっぱい」で去ったのだ。その後を引き継いだ私は大変だった。いや当時その研究室にいた学生はもっと大変だったに違いない。


 採用していただく大学に、「今の大学から離任の承認を得たので近く赴任します」と連絡した。そしたらこんな返事が来た。


 本学以外の職を兼ねる場合は内容に関わらず「兼業届け」を出していただきます。兼業が許可される場合は、外部機関の委員会委員や教育機関などの非常勤講師などです。本学の業務と関係ないものであれば、勤務時間外(平日時間外・土日祝日・年次休暇など)であれば基本的に許可されます。だから、(現職が非常勤であれば)無理に現在の大学を辞めなくてよいですので、とりあえず兼業届けを起案してください。


 え゛!兼業OK??とあわてて就業規則を取り出した。これが同じ文部科学省の管轄なの?国立大学法人勤務の国家公務員の規定だよね・・・


 確かに、勤務時間外については認められるらしい。しかも有給休暇は初年度に20日もあるぞ(9月着任だと3月末までに12日間OK、繰越も可能)、有給とって非常勤講師(=客員助教授)はOKの模様。しかも、「兼務先から実費交通費以外の報酬を受け取らなければ平日昼間に兼業しても良い」場合(届けを出して上のほうで会議して認めてくれればOK)もあるらしい。


 となると、現在の大学の肩書きをそのまま残しておくことも合法となりそうだ。だから、「離任式」も「送別会」も来年3月までは先送りできるかもしれない。年度途中でなければ(しかもあらかじめわかっていれば)、私が辞めることで迷惑を受ける人は極めて減るだろう。どうせ来年3月に任期が切れるのだし・・・。


 そして、ランキングから抜けたから賞金を受け取ることが絶対になくなった私のブログ。勤務時間内にアップさえしなければ、このまま続けられる、かもね。


 いやまあ、9月1日が楽しみである。ではそういうことで。

フリーパス

=2006夏死の九州ロード7日目=


 8日火曜日は心ならずも「終日フリー」。熊本に参勤交代するようになってから初めて、平日の昼間に市街を散歩できる機会となった。


 飛行機を8日夜便で予約していたのだが、この日の大分日帰りがなくなった時点で予定便を変更する、ということは可能だった。でもまあ、折角の機会だから、と予約をそのままにした。


 実は私は、熊本の地理を良く知らない。空港・宿舎・大学の道すがらと、飲み屋の周辺ぐらいしかわかっていない。大学の往き帰りは大学差し回しの車(かタクシー)だし、呑みに行くとなれば誰かとどこか(私の知っている場所)で待ち合わせだし。これ幸いに、と、市内をいろいろと歩いてみることにしたのだ。


 文字通り熊本の交通の中心「交通センター」まで歩いてみた。宿舎とセンターの間はタクシーで数メーターの距離で前から「荷物さえなければ徒歩も可能」と踏んでいた。何のことない、予想どうりあっという間に到着。その窓口で見かけたのが「市バス・市電一日乗車券(500円)」の案内である。勢いそれを購入。写真のように、使用する年月日がスクラッチ式になっていて、「18年・8月・8日」を10円玉で擦って切符の完成。「市バス・市電」であれば乗務員に見せるだけで乗り放題になる。

熊本市電市バス一日乗車券
※例によって若干手振れ。年取ったなあ・・・


 まずは市電デビュー。2号線、3号線の2路線(現在熊本にはこの2路線が活躍している)を踏破。いろんなタイプの奴にも乗ってみたくて、電停で待ち伏せして、片っ端から乗った。


 続いて市バス。熊本城周遊バスに挑戦してみた。いくつかの路線でこの「市バス・市電一日乗車券」でいける一番遠いバス停まで往復してみたりした。


 結果、ずいぶん地名やらを覚えたぞ。次に熊本に来たときはバス停や交差点の名前から大体のことはわかるようになっているような気がする。


 夕方になり、熊本空港に向かった。予約便は名古屋中部(セントレア)行き。いつもは伊丹や関空の利用が多い私ではあるが今回は「クレジットカードの特典でセントレア空港の無料駐車券10日分」の消化のため、ちょっと無理して名古屋まで車で出かけていたのだ。で、全日空カウンターで名古屋中部行きにチェックイン。もともとチケットレス予約なので搭乗手続きは簡単、カウンター横の端末を自分で操作すればよい。いつも通りピコピコやった結果、一番最後に初めて見る画面が登場。


 「伊丹/関空/羽田にダイバートする可能性があることを承認してちょうだい  [YES/NO]」


 横にいたANAの制服着たお姉さんにこれはどういうことかと聞くと、「台風が伊勢湾方面に接近しており場合によっては名古屋中部に降りられないかもしれない。その場合近くの別空港に行くからよろしくね、ってことよ。承認できないなら予約をキャンセルするという選択肢もあってよ!」と。


 普段の私は、別にダイバートでもダイハードでも構わないぐらいそのあたりはおおらかな部類なのであるが、今回だけは空港に車をおいてある関係で、どうしても名古屋に飛んでもらわなきゃならん。


 それにだ。仮に伊丹に行くとすると、熊本伊丹間の飛行機の値段は熊本名古屋間のそれよりも安い。それで、差額が清算されないなら詐欺ってもんだ。いや、仮に羽田まで行くことになったら、着陸前に機内で現金清算、金のない奴はそこからパラシュートつけずに放り出されるの?いやだなあ。


 注:↑の段落は私鈴木がその場でとっさに見た妄想である。実際はちゃんと誠意を持って対応してくれるらしいから安心を。


 ま、私としては今から飛行機をキャンセルして電車でセントレア空港に向かうなどという芸当はできないから運を天に任せて[YES]ボタンを押した。


 時間になり飛行機に乗り込む。「名古屋行きの航空路が混雑しているから離陸を最低10分遅らせる」との管制塔からの指示があったそうでCAのお姉さんが機内放送でお詫びをしていた。脇に彼女が通りかかったとき、「名古屋に降りられない可能性は何パーセントですか?」と聞いてみた。その結果が面白かった。


 今日は私たちも名古屋で勤務が終わるので、伊丹なんかにいかれては困ります。安全に支障がない限り、名古屋に行くと思いましょ。でも、かなり揺れるそうだからシートベルトをしっかりお願いしますね。


 離陸した737-700はやがて巡航高度に到達。高知の上空を飛行。左の窓からは瀬戸内海・鳴門海峡大橋等が見えた。やがて雲の中に入って降下開始。客室乗務員も着席しなければならない、という状態に飛行機は揺れ始める。ぱっと視界が広がったと思ったら名古屋市の上空。北側から南向きにセントレア空港に進入して行くのがわかった。やがて着陸。客室から拍手と歓声が沸いた。実は、セントレア空港、雨一つ降っていなかったのだ。


 私は少し面白くなかった。羽田あたりにダイバートしてもらって、「もう名古屋に帰る新幹線ないじゃん!」と大騒ぎして・・・できなかった。残念である。


 今年の夏の「死の九州ロード」が終了した。ではそういうことで。

16人で熊本オフ会

=2006夏死の九州ロード6日目=


 昨月曜日は恒例となっている「熊本オフ会」が開かれた。昨年秋以来のことではある。


 集合は「熊本北警察署前」いわゆる国道3号線に面した「白川公園バス停」だった。少し早めに同署に向かったのだが到着後、バス停前や公園、警察の駐車場で時間をつぶしているとやたら「複数の外国人が道行く方に声をかけて布教活動をする某教団」の自転車に乗った二人組みに目を付けられ結構うっとうしかった。最後は、自転車では進入できない横断歩道橋の上でカンブンさんを待ったりした。オフ会の会場は、カンブン氏の行きつけの居酒屋。北署前の交差点を西、アークホテル側に入った(一方通行的には逆向き)「うしぶか家」であった。


 最初の乾杯のときは参加者が私を含めて3人であまり盛り上がらずにいたが三々五々皆さんが集まってきて、老若男女国籍も入り乱れた16人での大宴会となってしまった。今回はお店の方にカメラを渡したので、参加者全員がフレームに入った写真を取る事ができた。前列のほぼ中央にいるのが不肖私である。

熊本のみんな2006夏


 途中、学会で熊本入りしていたQ大の某先生と遭遇したりした(実はお互い熊本入りしているなら一緒に飲まないか、と誘われてはいたがオフ会が先約だったのお断りしたわけだが、まさか同じ店で違うグループで飲むことになろうとは・・・)り、我々のオーラが凄過ぎて近くのグループの人が退散したりしたが、大変楽しく夢のような4時間を過ごした(っていうか、結局4時間も居座ったのだ)。その後、幹事のカンブンさんやマキさんなど本ブログの「濃い読者」の方々と市役所裏に場所を移して二次会。結局終了したのは26時をはるかに回っていた。


 今日火曜日は、本来ならば大分大学に出かける予定だったが、用件がキャンセルになり(っていうか教授採用試験の面接に行くはずだったが既報のように別の大学に奉職する事が確実になったため書類を取り下げたのだが)全くのフリー。今まで、空港と宿舎と大学の間しか知らなかった私のことである、少し市内を探索する時間を持とうと思う。夕方の飛行機に乗り、空港に一週間近く停めてある車に乗り換え夜日にちが変わるまでには自宅にたどり着く予定である。


 最終日を迎えると本当に悲しくなるのだが、また熊本に来られる日を楽しみにしたいと思う。熊本のみんなありがとう。ではそういうことで。

教室でのバトル

=2006夏死の九州ロード5日目=


 熊本の大学での集中講義が終わった。採点付けもやって出勤簿もきちんと書いて、教務課にお礼を言いながら大学を後にした。


 今回は例年にも増して学生のモチベーションが高く、昼休みなんか返上でノート整理をしている姿を目撃し、受講生も多く、こちらもやりがいを感じた。でもその分学生とのバトルもすごいものがあった。


 学生の興味は最終日の単位認定試験のことに集約される。私は講習初日にこう宣言した。


 試験は記述式。4問出題するからその中から自信があるものを選んで解答すれば良い。毎日課すレポート(3回)を毎朝提出し、その平均点が60点に満たない場合は終了試験の受験資格を与えない。試験ではテキストや講義中に配ったプリントは持ち込めないが、手書きしたノートやメモは持ち込んだ上に参照可能である。配点は各問50点で合計60点で単位を認定する。出席はすべてのコマで取る。40%以上(15コマだから6コマ)欠席した場合単位認定は保障しない。


 つまり学生にとっては、毎講義休まず遅刻せず聴講しノートを書きまくらなきゃならない。レポートを仕上げなきゃならない。そりゃ苦行だわ。勢い講義中にいろいろ説明するのが都度学生から「そこは試験に出ますか?」と質問される。こちらは「出る」とも「出ない」ともいえない立場だから、『ノートしておいたほうが無難だと思う』とお茶を濁すから余計まずかった。


 学生は学科事務所にも手を回していた。試験問題をまさか「コンビニ」10円コピーで作るなどと想像していなかったらしくて、その点は裏をかくことができた。でも、講義に持参しているラップトップ(講義内容はパワーポイントで仕込んであるのだ)を休み中に操作して「試験問題」の編集履歴を探っているのには驚いた。流石にそりゃまずいでしょ、と怒った。でも当方はそういうことを想定して試験問題は別のパソで編集、大学にはUSBストレージで持ち込んでいるのだった。いっひっひ。


 私の講義用カンニングペーパーとかにも興味があるようだったが、学生から犯罪者を出してはいけないので厳重に管理するふりをしていた。試験問題が漏れることはありえないのだけれど、こちらもかまをかけて、私の私物には休み時間にも手を付けないように、と警告しておいた。学生は背広の内ポケットが臭いといっていた(可愛いもんだけど甘い)。


 今回のバトルも当方の勝ちであった。


 熊本遠征は来年の春休み(2月か3月)までお休みとなる。次の講義のときは学生とのバトルに勝てるだろうか。いつまでも本学で働きたいから次回も負けないようにしたいものだ。ではそういうことで。