ドクター鈴木・あめぶろ研究室 -3ページ目

一鈴二鈴三鈴

 学会のため滋賀県を訪問した。現職の身分ではなく前職のそれで。っていうか、こんなに早く次の職場が見つかるとは思っていなかった。


 学会とはいえその規模は千差万別。数万人規模のものもあれば指を折って数える発表しかないものもある。今回の学会研究発表会は後者、全部で60人ぐらいの発表しか行われない。


 こんな小さな規模の学会ではあるが、他の方の思惑はともかくとして私はとても好きなのである。なぜならば「とても妙な発表」が行われることがあるからだ。


 多くの方は、「(こいつは)どこそこの学会で発表された」っていうような論調に無条件で騙されるだろう。例えは、「1+1=3である」とどこかの学会で発表できたとしたら、少々胡散臭くても「そんなものなのか」と納得してしまうこともあるだろう。発表会上の聴講者の誰しもが「そんな馬鹿なことはありえない」と思っても、そして発表終了後の質疑応答で思う存分指摘しまくられたとしても、「学会で発表された」という事実は残る。だから、例えば「実は神は私である」とかといった発表がなされて発表者がその会場でボコボコにされたとしても、「発表された」事実は否定できない。つまり胡散臭い内容でも、学会発表されてしまえばこっちのものである。


 権威のある学会ではあまりありえないのではあるが、小さな学会ではこういうことはしばしば起こる。今日私の参加した学会も、どちらかといえばそういう現象が起こりうるのだ。実際、今日はそういう発表に遭遇した。


 さて学会、即ち学術講演会とか研究発表会では、「タイムキーパー」さんは学生アルバイトのことが多い。専門とかには関係なく、学会が行われる大学の学生がかり出される。研究内容には興味がなくて、ただただ言われた仕事をこなす。


 開始から11分経ったらベルを一回鳴らす。12分経ったら二回鳴らす。通常発表はそこで終わりでQ&Aが始まる。そして通算15分経ったらベルを三回鳴らして発表者交代!いわゆる「一鈴二鈴三鈴」である。


 ちーーーん。ちーーーん!


 いつもは、何気なくやる気がなくて、言われた仕事を粛々とこなすベルの音が会場に響き渡るだけである。


 ところが、である。「妙な発表」。素人タイムキーパーであっても、その異様な雰囲気は察知できる。いや「妙な発表」に限って、制限時間内に発表が終わらないことが多い。11分経っても12分経っても、いや次の発表者との交代時間を迎えても発表は延々と続くことが多い。そんな雰囲気は素人でもわかる、らしい。


 早く終われ、このやろう。このままじゃお昼休みが減るやんけ!


 「妙な発表」のときに限って、ベルの音は、切れが良くて喉越しが良い!


 ちんちんちん!あっという間に三鈴である。


 そんなこんなで、今日の学会は、メリハリのあるチンを幾度となく聞いてしまった。もっとまともな学会に移籍するべきであろうか。いや、私の趣味としては、そんな「妙な発表」が好きなのだからたまらない。


 今回の学会は「無給休暇」での参加。全くのプライベートではある。それでも、前職の私の研究室の博士後期課程の生徒の発表が行われたから私も気合が入った。案外彼の発表も「妙なの」だったかも知れない。だって鈴の音が他と違っていたような気もするのだ。


 来年は発表できるのであろうか、楽しみである。ではそういうことで。

滋賀

 明日の学会のた滋賀に滞在中。今日は東京で文部科学省の役人たちとの打ち合わせがあって、終了後その足で新幹線に乗って京都経由大津に来た。


 丸の内人妻読者の美月とのラブラブ昼食会は次回に順延である。とても残念。


 滋賀も実は久しぶりである。滋賀県立大学に勤務出来そうになって書類を出したことがある程度で、滋賀県内に宿泊するのは、20年ぶりである。


 私と同年代の方にはなじみのあるフレーズではあるが「はだか温泉、ホテル紅葉」、があるのが琵琶湖のほとりの、大津なのである。先ほど温泉大浴場に行ってみたのだが、「国際的に著名な研究者」であるところのX大学のY教授とかR大学のS教授とかと「裸の付き合い」をしてしまった。10年ほど前社会人学生をやっているとき北陸で学会があったが「片山津温泉」で豪遊している世界的著名な某教授の姿を見て一種幻滅したことを思い出した。


 そろそろ「学会シーズン」は終了である。教授の方々の「常識では理解できない生態」の解明は来年の春までお預けとなる。


 私は、昨日の東京での筋肉痛が癒えず、今夜もマッサージさんにねんごろに施術をしてもらう予定。したがって更新はほどほどに。


 現地からケータイで更新。ではそういうことで。

 

足が棒

 昨日も書いたとおり、今日「イノベーションジャパン・大学見本市」が開幕した。私は現職を休んで(有給ではなく無給休暇をとって)参加している。今は某東○インに投宿中。休みを取って参加しているのは、今回のイベントでの私の役目は説明員ではあるが、今回私の所属は現職ではなく元職なのである。先月まで勤めていた大学の某プロジェクトの、説明員をしているのだ。現職の有給で参加することは出来ない。


 元同僚の方は昨日から現地入りして設営をしてくれたが私は本日入り。少し早めに出発して(っていうか昨夜の夜行に乗って現地入りした)、朝6時の時点で東京に着いていた。今回はちょっと訳あり、実は開幕前に立ち寄りたいところがあったのだ。


 品川区某所。


 私が貧乏学生のときにお世話になった下宿屋。実はその跡地を確認したかったのだ。学生運動のし過ぎで親から勘当されたたために仕送りを止められ、激貧で過ごした大学生時代。30年近く経てその跡地をどうしても確認したかったのだ。昨年ふと思い立って探してみたが番地とかが良くわからなくて「マンションに変わったかも」という結論を出した。でも、数ヶ月前に、当時とてもお世話になった大家さんの娘さんから「母(=大家さん)が亡くなった。葬儀は無事済んだ。」という連絡があって、私が前回訪問した場所は間違いだと気付いたのだ。実は記憶していた下宿屋の住所が間違っていたのだ。今回は事前にネットで探して地図をプリントアウトして準備万端。


 前回の訪問では3箇所間違って曲がってしまったのだ。今回は事前に地図で予習していたから大丈夫だった。


 当時通っていた銭湯。捨てるはずの「耳」を分けてくださったパン屋さん。指をくわえて見てみぬ振りして通り過ぎたアベックのたまり場の公園(苦笑)。地下道になっていたがいつも貨物列車を眺めていた踏み切り跡。毎朝新聞を読ませてくれた交番。大学の先輩のいた豆腐屋さん(先輩は5年前に亡くなったそうだ)。定期試験の朝当て逃げされて上着をぼろぼろにされた交差点。健在だった。


 今回は辻を曲がり間違えずに、大家さんの住所に到着。周囲の状況は変わらなかったが、大家さんの家は今風の一戸建てに変わっていた。表札に大家さんの苗字を確認した。


 当時は大家さんの家の裏庭に長屋が建っていて私はそこに住んでいたのだが、今では新築して新しくなった大家さんの家だけがあった。玄関のチャイムを鳴らした。大家さんの娘さん(当時8歳年上だったから今も8歳年上と思う)が出てきた。


 30年近く前にお世話になった鈴木です。お線香を上げさせていただけないでしょうか。


 娘さんは私を上から下目で舐めるように見て「うっそ!こんなに太っちゃって。モヤシみたいな鈴木さんしか覚えていないのに。母も、鈴木さんはちゃんと食べているかな、っていつも心配していたよ!」と。


 遺影の大家さんは私の記憶の人相とは違っていた。年月の長さを感じた。


 娘さんが、「もう30年近く経っているのだから大学までは流石に徒歩では無理でしょ」と冷やかした。そこで一念発起、当時と同じルートで大学まで歩いてみることにした。


 中延・五反田経由で三田(田町駅)まで。当時とほぼ同じ時間で踏破した。沿線では、当時あった店が無くなっていたり都市計画整備で景色が変わっていたりしたところこそあったが基本的には昔のままだ。ただ残念だったのはゴール間際「慶応仲通」にあった麻雀荘が無くなっていた事だ。いつもそこで先輩に呼び止められ、ザルソバなんかをおごってもらって飢えをしのんだものだった。ちょっと残念だった。


 田町駅からJRで有楽町に出て今日のメインの仕事「説明員」。夕方まで立ち仕事だったので流石に合わせ技で足がパンパン。これからマッサージさんを呼んでちょっとだけ楽になろうと思う。


 せっかく客室にネットが入っている東○インに投宿しているのであるが、今夜は早めに轟沈の予感。ではそういうことで。

イノベーションジャパン2006

 産学連携の仕事をしている以上避けて通れないものがある。先ずは6月の、いわゆる「京都会議」、そして今回のイノベーションジャパンである。


 http://expo.nikkeibp.co.jp/innovation/


 私の勤務先の大学はこの会議に店を出す。そんなわけで私は公務出張で現場張り付き。しかもこの8月まで勤めていた大学でもすぐ近くに出展しているからそちらにも顔を出さなければいけないような気もする。


 もっとも現職のほうで「公務出張」なので道義上元職のブースにたむろするのには勇気がいるが、そこはそこで、シラを切ったり覆面を被ったり(?)して誤魔化すしかない。


 そんなわけで、今回は例年の2倍忙しいような気がする。


 明日水曜日から3日間。有楽町駅界隈で急激に酸素濃度が薄くなったら、近くに私がいるかもしれません、要注意。突発オフ会歓迎。ではそういうことで。


今年も911

 5回目のメモリアルデーが来た。一部始終は昨年の9月11日に書いたのでそこを参照していただきたい。
 http://ameblo.jp/doctorsuzuki/entry-10004197916.html


 同時テロから5年。その間世界はどう動いたのか。私の周りでもさまざまな状況変化があった。


「イラク復興支援」 知り合いの友人自衛官はイラク行きを志願した(今、無事に戻ってきて内地勤務している)。


「WTCに支店があった金融機関勤務の友人」 あいかわらず『夢は世界進出』と言っている。


 私のNYの会社 その後閉鎖(苦笑)。ホムペだけは生き残り。


 私自身も、当時「博士課程を終えた社会人リターンマッチ1期生」。僅かな賃金で週1の非常勤講師をはじめたばかりだった。今では某大学で常勤勤務。


 そんなわけで世界はずいぶん変わった(どこが?って突っ込みはなしでお願いしたい)。


 さて、閉鎖していた事務所を再開することにした。先日来ごにょごにょやっていたのだが、NYの会社の登記簿が取れたのでそれを元にして「在日支店」を国内に登記することにしたのだ。もちろん現在私は「みなし国家公務員」で副業規定もあって支店長になるわけには行かない。そこで、うちの奥様のご登場だ。彼女を支店長にして、登記!


 だからなんていうことでもないが、911に記念日に登記することでなんとかWTCで命を散らせた友人の魂に報えれば、と思うのだ。


 あ、大学関係者の皆さん。支店長は女房です。私は無給、大学の勤務時間内には仕事をしません!そこんとこ、よろしく。バレバレかな?ではそういうことで。 

スプリンクラー

 復興住宅の建設作業が大詰め。既に木工事(大工さん仕事)が完了、壁のクロス張りも終わって残りは設備器具付け工事の一部、という具合だ。竣工引渡しが25日大安となったため、引越しを10月1日大安に設定した。ここしばらくは家具の買出しとか電化製品の見極めとか何かと忙しかったりする。


 気の早い知り合いからは『新築祝いはなににする?』と聞かれるようになった。「現金」というわけにも行かないので、笑いながら「消火器1ケース」とかと答えることにしている。


 あ、読者の皆さん、マジで消火器を送ってこないように。もう我が家は燃えませんから。実は今度の家にはスプリンクラーをつけたのよ。もしも万一のことがあったら天井から雨のように水が降ってきてあっという間に消火だ。


 写真はキッチン天井に既にくっついているホームスプリンクラーユニット。

キッチンのスプリンクラー



 天井に開いている丸い穴は照明器具がつくところ。壁の四角の穴はコンセント予定地だ。窓の右側がレンジフード、だからその下がレンジ、である。


 前みたいに貰い火なら仕方がないが、火事の怖さを知っているだけに、我が家から火を出さないことも肝心。だからちょっと奮発して導入した。


 ただ、ちょっとわからないことがある。こいつ本当に万が一のときに機能するのだろうか、ということだ。マッチの火でも近づけてテストしようと思ったら大工の棟梁に「お願いだから今はやらないで!」と。確かに今放水したら大変なことになるかも。


 こいつが本当に作動しないように、ゲロ、火の元には注意しないといけない。ではそういうことで。

奉仕作業

 娘の中学で「PTA主催奉仕作業」があるというので出かけた。来週運動会があるわけだが、それに先駆けて、グランドや校舎の周囲をきれいにしましょう、という趣旨である。小学校のときも同様のものがあったが、今年は女房の体調の都合もあるので、私が出かけた。


 麦藁帽子をかぶって。草むしりの道具を持って。


 自宅の庭の草むしりは私の担当である。しかし現在業者が出入りしている関係で今年は割愛。だからせめてもの罪滅ぼしで学校の清掃奉仕には出なければと思っていた。


 9時集合。校長先生の挨拶の後、草むしり作業が始まった。


 でも。何か凄く勘違いしているご父兄がいる。目的と道具が合致していない。剪定ばさみを持ってきたのでは草むしりはできないぞ・・・。くわえタバコの馬鹿者もいる。タバコは自分の家の庭でお願いしたい(できたら禁煙を!)。


 そんななか、凄いお母さんを見つけた。奉仕作業中ずっと電話しているのだ。


 もしもし。私。今日は息子の学校の奉仕作業で草むしりに来ているの。え?あ、今やっている途中。暑いよね。日焼けしちゃうわ。色白なのに。ね、お昼ひま?終わったら行くからさ、お茶しない?・・・・


 終わった後のアポ取りである。口動かすひまがあったら手を動かそう。そう思って注意しようと思うのだが、全く電話が終わらない。


 結局、2時間ばかりの奉仕活動中ずっと電話。それを注意深く観察していた私も私だがそれでも、他のお母さんたちよりは多くの草をむしったはずだ。携帯のお母さんは全く草をとらなかった。


 来年からは携帯禁止だなあ。


 そんなわけで私は今日は少しだけ日焼け。見栄を張って「ゴルフ焼けしちゃって」と言うことにしてしまおうか。少なくとも携帯焼けじゃないし。ではそういうことで。

全国行脚2006秋その4

 群馬県内にいる。今日は某工業高校で環境関係の講義。


 これで秋の「全国行脚」が終わる。念のため申し添えると「行脚」と書いて「あんぎゃ」と読むのだ。


 ところで留守宅から電話があった。なんでも「介護保険」の保険料の一部が給料から差っぴかれる、という通知が来たらしい。


 保険制度は素人には難しすぎる。私は今まで自営業者として「1号被保険者」だったが、いわゆるサラリーマン化して「2号被保険者」になったのだ。月額数百円の介護保険料は負担しなければならない(ちなみに自己負担の倍ぐらいを勤務先が負担するらしい)。だから給料から毎月数百円が天引かれるらしいのだ。


 しかし。考えてみると面白い。社会人になって25年。ずっと基本的なスタンスは「自営業者」だった。サラリーマンの経験はない(非常勤講師として教壇にはずっと立っていたが)。だから正直な話、雇用保険(失業保険、という云い方はもうしないらしい。しかも入ったことがないのだ。新しい職場の初給料はまだだが、どういった項目でいくら惹かれているのか楽しみでもある。


 常勤職員としての初給料は多くの他の国立大学法人もそうだと思うが17日である。今から明細書が楽しみではある。


 さて、今年から始まった「秋のロード」。とりあえず終了である。今夜遅くからパソ環境が復活するつもりではあるが相変わらず携帯しかない。そんなわけで今夜も携帯からで失礼。今夜遅くに自宅に戻る予定。ではそういうことで。

全国行脚2006秋その3

 秋のロード三日目、長野県上田市にお邪魔している。


 長野県に滞在するのは、25年前大学生のとき以来だ。スキー場でバイトをやりながら昼間の空いている時間にスキーを習った。静岡出身で雪のない生活を送っていたからとても楽しかった(雪国の方は雪のある生活だからそれなりのご苦労もあると思う、関係者の方には不謹慎な発言を許されたし)。


 良いところだ。雪のない長野も良いな。山々は美しいし空気もきれいだし。夜空を見上げると吸い込まれそうになるし(ってちょっと天気が・・・)。


 そんなわけで、東横インに宿泊していないので宿にネット環境なし。したがってケータイから今日も更新。


 明日帰ります。コメントへのお返事は帰宅後に。ではそういうことで。

全国行脚2006秋その2

 長野県にいる。昨日の福井県同様、「なじみの少ない場所」ではハメがはずしにくい、わけで・・・。


 今回は比較的対象が低年齢である。実はロード先のほとんどが「工業高校」とか「理工系短大」である。いつもかかわっている人材とは少しだけ低年齢である。


 ここだけの話、知事が交代した長野、今後の「変革」が楽しみでもある。


 明日は信州大学繊維学部(上田市)に行った後東京で私的オフ会。今回はブログとハブ関係な連中が集まるのでこの場では秘密裏に。


 ラップトップを持ち込んではいるが、なかなか上手く更新できず。携帯から失礼。ではそういうことで。