ドクター鈴木・あめぶろ研究室 -7ページ目

長崎の夜、そして再び熊本

=「2006夏」死の九州ロード4日目=


 昨夜から今日にかけて「長崎オフ会」が行われた。


 シーボルト(知らなかっただが県立大学なんですね、大胆な命名でした)での仕事を夕方終えて宿舎に入るとまもなく「男同士で気の毒ですが、夜景でも見に行きませんか」とお誘いとお迎えがあった。深堀君、ありがとう。


 彼の車で送っていただいて、オフ会の始まる20時近くに、浦上駅の近くあるトムさん のご両親の経営するお店に入った。やたら元気の良い店員さんがいるなあと思ったら、テッカム君 だった。ブログをやり始めてすぐにお目にかかったのが最後だから約1年半ぶりの再会である。


 やがて「ニセ西郷どん」(彼とは2年半ぶり)もおみえになり、「男ばかり」のオフ会が始まった。どんなことを語りあったのか、ということは割愛するが、ま、雰囲気は写真から判断していただきたい。ちなみにカメラマンは私であるから、私自身は写りこんでいない。


長崎のみんな


 その後近くの別のお店(トムさん御用達)で二次会となった。25時近くになりお店がカンバン、3次会に誘われたのであるが、今日すなわち日曜日は午前6時00分発のかもめ2号に乗り鳥栖経由で熊本に帰らなければならず(本日の熊本での講義の予定は9時半から、なのでこの電車に乗り遅れるわけにはいかない)、せっかく集まってくれた皆さんには申し訳なかったがこの時点で私は失礼した。その後皆さんはどうなったのだろうか・・・。


 ちなみに、かもめ2号に乗り遅れることはなかった。ただ、発車直後(浦上駅通過後)に検札に切符を見せたあと緊張の糸が切れ爆睡。鳥栖駅到着の直前に親切な車掌さんに起していただいた。それがなければ、今日のお仕事に穴を開けるところだった。


 日曜日のキャンパスでの講義は初めての経験である。キャンパスではやたらと中学生の姿があって、「オープンキャンパスだったら高校生が対象のはずなのに何事か」と思った。そしたら大学が教室を貸し出して高校受験のいわゆる業者模試が行われたみたいだ。私はというと中学生が集まっている建物とは別の、階段教室がある建物に向かった。が、建物は施錠されていて入ることができない。守衛さんに連絡しても「今日建物を使うという連絡は来ていませんので」と鍵を開けてくれない。仕方がないので知っている限りの大学の関係者に順番に電話して、やっとの思いで職員に連絡がとれその方から守衛に連絡を入れてもらって開錠!


流石に日曜日に授業をやっているのは私のところだけだったようで、学食も売店も営業をしておらず、わざわざ敷地の外に出て食事をする羽目になった。遠征先で車が無いだけに、そうなるとちょっと不便。いや、私の日程上の都合でどうしても日曜日を休講にすることができずに強行日程となってしまっているのであるが、つき合わされている学生が一番の被害者かもしれない。


 明日は熊本での最終講義である。今まで出したレポートの採点も完了。明日は4コマの講義をして5コマ目に単位認定の試験をやるだけとなった。もちろん試験問題も作ったし、仕事を片付けて月曜日の熊本オフ会に望みたいと思っている。ではそういうことで。

  

熊本菊陽RAC

=「2006夏」九州死のロード3日目=


 昨日金曜日は、いつかは出席したかった「熊本菊陽RAC」の例会にお邪魔した。本ブログ読者でもある美月の旦那D君とか、いやその前に来週月曜日の熊本オフ会幹事のカンブン氏とかが在籍したことがあり会員の皆様とはしょっちゅうお目にかかっていてなじみがあたっただけに今まで訪問したことがなかったことが信じられないのだが・・。


 熊本城近くの宿舎からは車で40分ほど、高速道路熊本ICの先の会場へは、「見込みよりちょっと遠かった(金曜日夕方の渋滞は半端なものじゃないですね)」こともあって若干遅刻してしまった。それでも皆さんでウエルカムしていただけたのは嬉しかった。


 写真は大阪出張の会長の留守を預かって点鐘する岩本幹事(恒例により、勝手に目線を入れました)。


熊本菊陽


 この日の例会はIT関係の卓話がメインプログラム。いつもインターネットを駆使しているはずの私ではあったが、なかなか視点がユニークで興味深い話であった。


 また今回は菊陽クラブに新会員が加入され、仲間が増える現場に遭遇できたことも嬉しかった。


 思い起こせば4年前、熊本の大学にお世話になった初めての九州遠征のときに訪問した「熊本江南RAC」例会に入会して一ヶ月目という初々しいお嬢さんがいた。その彼女、その当時はRAのことはまだまったくわけわかんない状態だったのだが旺盛な探究心でRAを極め会長まで上りつめているのだが、その彼女も今回の菊陽例会に参加されていた。今回加入された彼女も何年後かには菊陽を背負って立つ活躍をしてほしいものだ。


 例会からの帰りには、その熊本江南のM女史の車「2720号」に宿舎まで乗せていただいた(渋滞は解消しており20分ほどで到着)。ありがと。


 さて今日土曜日はいったん宿舎をチェックアウトして長崎シーボルトである。夜は長崎オフ会。どんなことに相成るか、楽しみである。ではそういうことで。


なぜか有名人

=「2006夏」死の九州ロード2日目=


 毎年20人ぐらいしか履修者がいない「熊本の大学」での集中講義。大学から見ると私の講義に人件費とか交通費で20万円近く投資しているはずでさすがに「履修者20人」では首が危ないと思っていたところ、今年はふたを開けてみると例年の2倍の受講者がいる。履修登録していないけれど単位がほしいので何とかならないか(集中講義の場合は割合と簡単に何とかなるのだが)と泣きついてきた学生に対しても履修を認め、久しぶりに「階段教室」である学科最大の教室を使っての講義となった。


 私の本学での講義は建前上2年生向けに開講している。履修者のほとんどが2年生ではあるが、3年生や就職先が決まったという4年生や、なんと他専攻科のM(修士)生まで聴講にきている有様である。


 今までそんなこともなかったのだが、今年はなぜか人気者だ。


 休み時間、コーヒー自販機前で昨年の講義にきていた学生と鉢合わせした。「あ、センセ、今年も始まりましたか?」と声をかけられたのだ。普通は、集中講義に来る先生のことなんかはすぐに忘れるのであろうから、覚えてくれていたことだけでもうれしい。ましてや声をかけてくれたのだからもっとうれしい。

「顔を覚えてくれていてうれしいよ、勉強した内容も覚えていてくれるともっとうれしいけど、どうだ?」と聞くと、それはうれしそうな顔をして「それは覚えていますとも!」「それに、僕たちも有名になれたのですしありがとうございました」と。


 なぬ?なぜ君たちが有名に?


「ほら、昨年の講義って『公開授業』で地域の人も聴講に来るやつだったじゃないですか。で、大学の広報課のおじさんがカメラ持って取材に来ましたよね、あれが広報誌に載ったんですよ。だから他学科の人にもうらやましがられて!」


 おぉそんなことがあったなあ。昨年は大学のイベント「公開講義」として地域の方の聴講OKにしたもんだから、学内の広報誌はもとよりいろんなマスコミの取材を受けた。彼らはそれがとてもうれしかったようだった。


 今年は大学のオープンキャンパスの日程とは少し違う時期の開講なので「公開講義」ではない。でも、やはり過去に広報誌やメディアに取り上げられた講義は注目されるのだろうか。


 私の講義そのものが面白くて学生が集まる、ならそれは格別だが、どうやら本筋とは少し違ったようで複雑な心境である。それでも、教員としては、多くの学生が履修登録をしてくれるのはうれしいものである。


 もっと本音を言うと、私のような非常勤は結局は「時間給」で動いている。だから決められた時間に決められたことを教えていればそれでよく、履修学生が多いからといってお手当てが増えるわけではない。いや、レポートや単位認定試験の採点でかえって手間がかかってしまうからあまり歓迎しないのかもしれない。


 でもそれはそれ。最終日に採点して教務課に「今年はこれだけの学生が聞きにきてくれた」と成績表を提出するのが楽しみである。また来年も呼んでいただけるよう、精々がんばろうと思う。ではそういうことで。

再度:熊本オフ会ご案内

 8月7日月曜日、熊本市内にて当ブログオフ会を開催することになっております。幹事は読者のカンブンさんです。人数を把握しなければなりませんので、参加を予定されている方はお知らせください。


 このエントリーにコメントするのでは連絡先などの個人情報を交換できません。そのため、右側のブログペットのメール機能で連絡くだされば幸いです。ではそういうことで。

日本はやはり狭い

=「2006夏」九州死のロード1日目=


 今、九州に遠征中だ。今年はいつもお世話になっている「熊本の某大学」に加えて「熊本大学」「長崎シーボルト大学」それから「大分大学」にも出っ張ることになっている初日。今日は「国立大学法人熊本大学」でのお仕事である。


 熊本空港から空港バスで市内に出て宿舎に荷物を置いて、市内黒髪にある熊本大学に向かった。もちろんバスで行くつもりでいたが、熊大の先生から「最寄のバス停から徒歩で20分ぐらいかかる。今日は暑いから徒歩で来るのはお勧めしない」と連絡があったこともあって、奮発してタクシーに乗った。


 黒髪町の熊本大学工学部までお願いします。


 と言った瞬間に訛りが違うのか私がよそ者だということを察知した運転手さん、「東京からですか?」と聞いてきた。「いや東京じゃないですけど、今朝飛行機で熊本に着きました」とお返事。「熊本は初めて?」「今夜はどこに泊まるの?」車内のコミュニケーションは大事。私が、「熊本大学は初めてなんですよ、宮崎美子の熊本大学、初めて来られて私は幸せ」と申し上げた瞬間、運転手氏、にっこり笑って「3日前だったかなあ、宮崎美子乗せたよ。行きつけの美容院さんからお乗せしました。きれいで素敵だったよ、あ、お客さんが座っているあたりに腰掛けていたなあ。」


 あいやさびっくり。


 その熊大で仕事をした後、今回私を熊大に呼んでいただいた仕掛け人の教授を訪ねに先生の研究室を訪れた。話に花が咲いたが、どことなく熊本弁が下手な先生だった。熊本以外の方だろうかと思って出身を尋ねた。


 静岡です。


 あいやさ、びっくり私と同郷ということになる。


 市立○○中学から県立△△高校、それからは東京。家族を東京に残して単身赴任中。


 あいやさ、超ローカルでやんの。学校そのものは違うが、35年ぐらい前にきっとどこかですれ違っていたはずだ。以降お互い気が緩んで、封印してあるはずの静岡弁ずら。


 熊本に来てまさかそのようなお方にお目にかかれるとは思わなかった。世間は狭すぎ。ではそういうことで。


いくさの記録

 今までの「常勤への道」を振り返ってみたいと思う。


 1980年代90年代に代用教官もどきをしたころのこと(工業高校勤務等)は割愛して、2000年以降のものを列挙してみる。ただし、実際奉職した学校名等一部は仮称にする。


 2000年  環境科学系専門学校非常勤 02年4月まで
 2000年  某地方国立大学理学部非常勤講師 02年9月まで
 2001年  熊本の某大学工学部非常勤 現職
 2004年  早稲田大学助教授 面接で不合格
 2004年  某県環境科学研究所主任研究員 書類審査で不合格
 2004年  静岡大学工学部助教授 年齢制限(先方の希望は40歳未満)で書類ボツ
 2004年  東京大学 専門がちょっと違い予想通り玉砕
 2005年  某国立大学留学生センター 面接まで行って不合格
 2005年  某国立大学工学部客員(=非常勤)助教授 現職
 2005年  早稲田大学助教授 リベンジ戦も書類で玉砕
 2005年  愛知大学 書類でダメ
 2005年  京都府立大学 面接でダメ
 2006年  文部科学省科学技術政策研究所 書類で玉砕
 2006年  日本科学未来館 書類でダメ(書類締め切りの直後に残念通知が来た)
 2006年  滋賀県立大学 書類でダメ
 2006年  愛知商科大学 専門外だったからか書類でボツらしい(っていうか、ボツになったという連絡すらない)
 2006年  大阪大学某研究所 面接で合格したが勤務条件で折り合わずボツ(涙)
 2006年  芝浦工業大学大学院 書類提出の締め切りを間違えて門前払い
 2006年  岐阜大学教授 教授にはまだ早いのか、書類でボツ
 2006年  某大学某組織 8月1日に内々定


 2001年までは3戦3勝、楽勝ムードだった。やはりお気軽な「非常勤」の公募だったら相当いい線いけたようだ、本職はあったし。常勤を狙い始めた2004年以降では、16戦2勝(うち1勝は非常勤採用)14敗、さらに期日間違いで1不戦敗。勝率は、楽天球団以下だなあ・・・。


 惜しかったのは大阪大学。専門もばっちり合致し、先方の教授方とは学会等で知り合いだし、面接直後に「あなたしかいませんので是非赴任してください」とお願いされたのに。本当に些細な労働条件の違いで内定通知が出る段になってご破算。


 実はまだ、現在書類提出済みで結果待ちの大学がある。


 北見工大・琉球大学工学部・大分大学工学部・・・、正式に今回の内定通知を受け取っていない状態だからもし「面接に来い」といわれたらどうしようかと思っている。今回合格した某大学某組織には「他大学にも願書を出している。提出書類取り下げの通知を出さないとモラル的にやばいので、早めに内定通知等を戴きたい」とお願いをしている状態。


 ま、今までの流れでいって、残り3大学も私の戦歴の中では「負け」にカテゴライズされ、勝率をさらに低下させる要因となるのであろう。


 今回のは一応5年ぐらいの期限採用ではあるが、5年後には学内の別組織に自動的にスライドして定年まで働けるそうだ。もう、こういった募集に応じることは無いのかもしれないな。そう思うと少し寂しい。


 全く身勝手なものだ。ではそういうことで。  

内々定

 ついに遂についに、私の再就職が決まったみたいだ。


 7月20日のエントリーを見ていただくと判るが、某大学常勤の公募に応じたがどうやら決私は合格したらしいのだ。


 念のため申し添えるが、正式な書面は受け取ってはいない。ただ、面接担当の某教授が「波長があった。不合格にはできない。」とおっしゃっているのを聞いた。その後状況は変わっていないから、不合格にはなっていない、と確信していたりする。

 今だから言うが、過日の面接のときに担当教授の態度から『不合格になるわけがない』と確信した理由があるのだ。実は、出入りする飲み屋が一緒、なのだ。面接会場に入ってすぐ、一通りの面接官の顔ぶれを見ておこうと思って部屋全体を見回した。そのとき微妙なタイミングで目線をずらした人がいる。普通はそれで終わるのだが私は「なぜ目線をはずしたのか」ということを追加リサーチしたのだ。すぐ理由がわかった。


 飲み友達なのだ
 
 50歳目前で再就職が決まりそうである。書面で採用の意向を受け取っていない今の時点で『内定』とは書けないが、99%はOKであろう。


 読者の皆さん。ここで緊急告知。


 常勤で国立大学に採用された暁には(って現状99%確定)、このブログを閉鎖します。今のところ発表は16日である。場合によっては早まることもある。


 国立大学法人に正式採用の暁にはこのブログはどうなるのだろうか。事後のことについてアドバイスを募集する。ではそういうことで。
  

マイレージ

 飛行機を利用するようになってから、航空会社のマイレージがとても気になるようになった。現在はANAのそれに統一して集中的に使うのだが、ANAが加盟しているスターアライアンスだけを使うにはとても不便な英国行きとかに関しては別のマイレージを仕方なく使ってしまったりしている。


 そんな話を聞いていた知り合いから半年ぐらい前にとても耳寄りな情報をゲットした。


 住宅建築でもマイレージがゲットできるぞ、と。


 住宅の建築費用の一部をカードで払ってマイルを貯める、なんて話だったら、カードのキャッシング限度額(私の場合は300万円)で家は建てられないのだし、100円で1マイルだとすると300万円をカード払いして得られるポイントは3万マイルである。これだと、ソウル往復と交換できる。こういった話か?せいぜい最大3万マイルではないか・・・。


 友人はこんなURLを教えてくれた(アフィリエイトとかでは無いので安心してクリックを)。http://www.anasumai.com/mile/index.html


 8万マイルが上限で1000円で数マイル換算だが、例えば6000万円の分譲マンション購入で6万マイルゲット。


 その購入資金をスルガ銀行ANA支店の「マイル付き住宅ローン」で借りるとローン残額5000万円で25000マイル、3000万円超で15000マイル等が10年間毎年ゲットできる。https://www.ana.co.jp/amc-member/reference/tameru/other/money/suruga.html


 毎年の数万マイルはともかくとして、「6000万の家を購入」して6万マイル、「ローン残高」は最初の2年は5千万を超えているだろうからここで合計5万マイルである。今年家を建てれば3年後の今頃に何もしなくても11万マイルである。引越し費用とか家電をカードで買ったりして1万マイル貯めれば12万マイルとなる。


 12万マイルあれば世界一周も可能(時期限定、エコノミー、一人)。あるいは夫婦で香港へショッピングツアーとか、家族4人でソウルへグルメツアーなんかも可能と思われる。


 考えてみると、昨年マンションを購入したばかりの友人が先日このくそ暑いのに(ちょっと嫉妬が混入)ハワイにフルムーン旅行に出かけたっけ。金持っているなあ、と思っていたが案外この方法だったかもしれない。


 我が家では流石にスルガ銀行のローンは借りられない(やらなきゃわからんがおそらく審査が通らないのね、会社経営者用ってのは厳しいから)のだが、運よく、住宅建設会社から8万マイルがゲットできる算段になっている。家族4人だから海外旅行に引き換えは無理だけれど、沖縄とか北海道とか、めったなことがないといけない場所にでも旅行しようかと考えている。


 しみったれた話で恐縮だが、このせち辛い世の中、少しでもお得したいなと考えるのも致し方なし、かもね。ではそういうことで。 

学生の悪戯

 米国発のニュースで興味深いものを見つけた。


 「教授のパソをハックして、学生の成績をつけたりピザやCDを注文したカリフォルニア州立大学の学生がとっつかまった」


 詳細はニューサイト:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/27/news083.html


 学生の悪戯は私もいろいろ経験している。

「レポートはここへと使い捨てのメルアドを提示して講義を終え、宿舎でメールをチェックすると何百通ものスパムが着ていた」という、メルアド事件。


「教務課に電話をして、急用ができたから今日は休講にする」というコワイロ事件。


「三文判で私の出勤簿に、毎日8こまの講義をしたように判子を押してくれた」、架空出勤(?)事件。


 いずれも首謀者が見つかり、厳しいお灸がすえられたのはもちろんである。いずれにしても、セキュリティが甘かった自分自身にも非があったのかなあ、と反省もしている。


 私が見ていて教員のパソのセキュリティは低い。例えばちょっと不具合があるとIT系に造詣の深い学生を研究室に呼んで様子を見させたりする先生がいらっしゃる。そのときに何か仕掛けされたらどうするんでしょ、と私は思う。もちろん私は基本的に自分のパソを学生に触らせない。っていうか、大学のスタッフにも原則触らせない。パソは私物だし。で、ネットワークの関係とかでどうしても関係者の手が入るときは100%立ち会ってその手順を確認している。それでも完璧とはいえないかもしれない。


 そうはいっても、何か知恵を働かせて私をびっくりさせてくれる学生は好きなのだ、私。もちろん、笑顔で「参った!」って言える奴でないと駄目だが。どこかスイッチがおかしなところに入っているのかもしれない私である。ではそういうことで。
 

社会福祉法人臨時役員会

 先日ある社会福祉法人の「臨時役員会」に出席した。理事長先生とは20年ほど前から面識があり先生のほうから見るといつも暇そうで呼べばすぐ会議でもんなんでも出てきそうに思えるのだろうか、理由はともかく何かの弾みで私、その法人のいわゆる役員に任命されてはや数年。毎年通常のしゃんしゃん役員会しか経験していないのだが、なぜか今年は年度半ば(この法人はカレンダー年度を採用している)での緊急招集なのだ。


 事前に議案が送られてきたのだが、議題はたった一つ、「18年度の予算補正について」と。


 何事かと思った。通常、年度ごとの普通の役員会とそれに続く総会で予算を決めるのだが決算上ある程度科目間流用ができるわけで、補正を組むとしたら予定外の収入か支出があった場合ぐらいしか考えにくく、ただならぬ雰囲気を感じて、出席することにした。


 会議が始まってまもなく、補正予算を組まなければならない理由がわかった。本年度の国家の福祉予算が、当事者から言えば「でたらべろジー」であって、昨年は毎月100万あった補助金が4月1日から50万円もいただけなくなってしまったのだ、という。つまり、4月からの8ヶ月間で、400万円以上の『減収』が確定しているのだという。この金額は、「科目間流用」なんかで片付けられない問題だし、ただでさえ毎年、綱渡りしている園の経営だがその収支のバランスを著しく狂わせてしまう額である。


 厚生労働省は「福祉の世界も従来の考えではダメ。今後は経営者の発想も持つべきだ」と指導しているらしい(理事長の弁)。つまり、補助金は減らすけれど、福祉法人は自力で頑張って世の中の荒波を乗り越えてね、ということだろうか。あるいは、国家のお荷物になるような仕事はやめて、弱者は見捨てて、勝者だけの社会を創ろう、としているのか。


 理事長は、「たとえお金がなくなっても、園の存在を歓迎してくれる人がいる限りやめるわけにはいかない」と踏ん張る意向。したがって、足りない分を「理事長の個人資産を投入」、出て行く分を「施設の修繕などを先送りして歳出削減」という補正予算が組まれていた。


 いやぁ理事長先生、お気持ちはわからんわけではないが、仮に今年度それで良いといっても、そんな状態で兵糧攻めにあったら先生はまる裸。それでは園の皆さんは喜びませんよ。


 と、静まり返った会議室で私が口火を切った。


 園の皆さんには申し訳ないけれど、個人負担を増やしてもらうようにお願いするしかないのでは?私らの社会保険だって個人負担は増えているんです、仕方がないでしょう。


 窮状を県とか市に訴えたらどうですか?本法人は県の認可だからまずは県知事に直訴するとか。そして、今回の国の施策が間違っているという世論を作らなきゃ国は動かないでしょ。


 わずかにある遊休の土地を駐車場にして近所に借りていただくとか、あるいはチャリティのイベントを企画してそちらで補填するとか、何かできるものがあると思いますよ。


 私の独壇場になってしまった。


 理事長先生、身銭切って大丈夫か?暮れの通常の役員会でやつれた姿を見るのは私嫌だよ。そう思いながらも、結局は「年度途中から個人負担を増やすことは難しいし、今からムーブメントを作ることは難しい。だから、補正予算案どおりに今年度はやろう」という結論になってしまった。


 私、こういうときに革命的なアイデアでもひらめけば男を上げられるんだろうけれど、最近もろもろ疲れていて頭が周らないや、と肩を落とした。


 会議の終わりに、事務長が封筒を持ってきた。中を見ると3000円入っていた。足代、という。いやぁそんな窮状聞いてしまった以上これはもらえないなあ、と受け取らずに帰ろうとした。


 周りを見ると、さっさと領収書を書いて封筒をポケットに入れる役員ばかりである。私は激怒した。


 皆さん方、この会議にお出になって、よく平気でそれをポケットに入れられますね。私は、一応領収書は書きますが、お金は全て園に寄付いたします、皆さんもそうなさいませんか。


 「そうだよね、賛成です」と隣に座っていた理事の方がかばんから封筒を出して理事長に渡した。皆さんあとから続いてくださった。


 理事長先生に参加役員15名から4万5千円の贈り物だった。余計なお世話だったかもしれないけれど足しにしてください。ではそういうことで。