足が棒 | ドクター鈴木・あめぶろ研究室

足が棒

 昨日も書いたとおり、今日「イノベーションジャパン・大学見本市」が開幕した。私は現職を休んで(有給ではなく無給休暇をとって)参加している。今は某東○インに投宿中。休みを取って参加しているのは、今回のイベントでの私の役目は説明員ではあるが、今回私の所属は現職ではなく元職なのである。先月まで勤めていた大学の某プロジェクトの、説明員をしているのだ。現職の有給で参加することは出来ない。


 元同僚の方は昨日から現地入りして設営をしてくれたが私は本日入り。少し早めに出発して(っていうか昨夜の夜行に乗って現地入りした)、朝6時の時点で東京に着いていた。今回はちょっと訳あり、実は開幕前に立ち寄りたいところがあったのだ。


 品川区某所。


 私が貧乏学生のときにお世話になった下宿屋。実はその跡地を確認したかったのだ。学生運動のし過ぎで親から勘当されたたために仕送りを止められ、激貧で過ごした大学生時代。30年近く経てその跡地をどうしても確認したかったのだ。昨年ふと思い立って探してみたが番地とかが良くわからなくて「マンションに変わったかも」という結論を出した。でも、数ヶ月前に、当時とてもお世話になった大家さんの娘さんから「母(=大家さん)が亡くなった。葬儀は無事済んだ。」という連絡があって、私が前回訪問した場所は間違いだと気付いたのだ。実は記憶していた下宿屋の住所が間違っていたのだ。今回は事前にネットで探して地図をプリントアウトして準備万端。


 前回の訪問では3箇所間違って曲がってしまったのだ。今回は事前に地図で予習していたから大丈夫だった。


 当時通っていた銭湯。捨てるはずの「耳」を分けてくださったパン屋さん。指をくわえて見てみぬ振りして通り過ぎたアベックのたまり場の公園(苦笑)。地下道になっていたがいつも貨物列車を眺めていた踏み切り跡。毎朝新聞を読ませてくれた交番。大学の先輩のいた豆腐屋さん(先輩は5年前に亡くなったそうだ)。定期試験の朝当て逃げされて上着をぼろぼろにされた交差点。健在だった。


 今回は辻を曲がり間違えずに、大家さんの住所に到着。周囲の状況は変わらなかったが、大家さんの家は今風の一戸建てに変わっていた。表札に大家さんの苗字を確認した。


 当時は大家さんの家の裏庭に長屋が建っていて私はそこに住んでいたのだが、今では新築して新しくなった大家さんの家だけがあった。玄関のチャイムを鳴らした。大家さんの娘さん(当時8歳年上だったから今も8歳年上と思う)が出てきた。


 30年近く前にお世話になった鈴木です。お線香を上げさせていただけないでしょうか。


 娘さんは私を上から下目で舐めるように見て「うっそ!こんなに太っちゃって。モヤシみたいな鈴木さんしか覚えていないのに。母も、鈴木さんはちゃんと食べているかな、っていつも心配していたよ!」と。


 遺影の大家さんは私の記憶の人相とは違っていた。年月の長さを感じた。


 娘さんが、「もう30年近く経っているのだから大学までは流石に徒歩では無理でしょ」と冷やかした。そこで一念発起、当時と同じルートで大学まで歩いてみることにした。


 中延・五反田経由で三田(田町駅)まで。当時とほぼ同じ時間で踏破した。沿線では、当時あった店が無くなっていたり都市計画整備で景色が変わっていたりしたところこそあったが基本的には昔のままだ。ただ残念だったのはゴール間際「慶応仲通」にあった麻雀荘が無くなっていた事だ。いつもそこで先輩に呼び止められ、ザルソバなんかをおごってもらって飢えをしのんだものだった。ちょっと残念だった。


 田町駅からJRで有楽町に出て今日のメインの仕事「説明員」。夕方まで立ち仕事だったので流石に合わせ技で足がパンパン。これからマッサージさんを呼んでちょっとだけ楽になろうと思う。


 せっかく客室にネットが入っている東○インに投宿しているのであるが、今夜は早めに轟沈の予感。ではそういうことで。