ドクター鈴木・あめぶろ研究室 -58ページ目

学会(学術講演会)にて

 学会発表が終わった。大きな学会ではないので比較的アットホームな雰囲気なのは良いのだが、既に名物と化している変わった先生がいらっしゃる。今年もその先生方の活躍を見てきた(って、本当の目的は自分の発表と、他人の研究へのチャチャ入れ)。


 1) お決まりの出囃子を発表前に奏でる方
 司会者が名前を読み上げると同時に三味線と太鼓がスタート。23秒。今年から発表がOHPからパソコン利用のプロジェクションに変更になったため出囃子もデジタル化していた。本人は「着メロ」にもこれを録音しているらしい。

2) 二人で漫談を始める方
 共同研究者と二人で発表するのを無上の楽しみにしている企業研究員の方。今回はいつものボケ役と突っ込み役が逆転していた(新鮮だった)。とにかく衣装を「ペアルック」に揃える根性に敬服。きっと凄く練習するのだろうな。

3) 毎回同じ質問をする方
 講演が終わってQ&Aタイムになると必ず手を上げて「で、これはどうやったら商品化できるのですか」と聞く某高専の先生。うちの研究室の学生はこの先生が発表会場に来ている時のことを想定して事前に答え用のスライドを作る。まるで無意味。


 ということで、今年は私も少しだけ悪乗り。当ブログの左サイドバーのプロフィールにもあるように当方なんとなく「カンニングの竹山」に似ているらしいので、少し怒鳴り口調で「私、今日宣言します。」ってはじめたのだが、観衆はあっけにとられているだけ(ウケているのはウチの研究室の諸君だけ)。
センス無い、私(涙)。


 


やっぱ、発表の中身で勝負しなきゃ駄目か・・・。大いに反省。


ではそういうことで。

 

 

スカイローション

 

スカイローション

 


気候が良くなったのでブラリと浜名湖に出かけてみた。第三セクターの「天竜浜名湖鉄道」の浜名湖畔の駅でレールバスを降り、駅舎を出てロータリーの先を横切る国道の反対側に建つ古びた酒屋さんの壁にとても懐かしいものを発見した。


金鳥のスカイローションの琺瑯看板だ。スカイローションというのは今で言う防虫スプレーのこと。ボンベタイプではなくいわゆる「ポンプタイプ」で、しゅっしゅと噴霧したのを子供心に覚えている。


最近は琺瑯看板自体余り見かけなくなったが、「ボンカレー(松山容子さん)」や「オロナミンC(大村昆さん)」「オロナイン(浪速千栄子さん)」、「ハイアース(水原弘さん)」子供の頃看板を見るたびに顔を赤らめた「アース渦巻(由美かおるさん)」が記憶に残っているが、以上いわゆる大塚グループと対抗していたのが大日本除虫菊の”キンチョー”だ。「金鳥の夏日本の夏」と美空ひばりさんが蚊取り線香を持って微笑んでいる看板がやけに印象に残っている。キンチョーさんは(失礼かもしれないが)ナンセンスシリーズ(?例えば「タンスにゴン」)のCFが有名だったりするが、当方が子供の頃には雑貨屋さんの壁には「金鳥」「キンチョー」といった文字だけ看板が結構あったものだ。


 

その金鳥のスカイローションの看板を発見した。スカイローションの発売は1975年だからこの手の看板においては新しい部類に入るのかもしれないが、それでも設置して30年近くは経過していると思われ、琺瑯の痛み具合が時代の流れを演出している。

 

 

ではそういうことで。

 

参考サイト
[琺瑯看板15]http://takahira.cool.ne.jp/hourou/hourou15.htm
[金鳥のあゆみ 昭和時代]http://www.kincho.co.jp/kaisha/japanese/ayumi/ayumi05.html
[看板が語る昭和 薬剤関連]http://www.cac-net.ne.jp/~jiu-jiro/page054.html

 

ゆとり教育と2006年問題


ゆとり教育というのは「詰め込み教育の排除」という理念で始まった。今般話題の化学「周期律」の話もそうだが、数学でも円周率を3としたり台形の面積の公式を教えなかったりあるいは小学生の授業では電卓を利用させたりもする。その結果数学的リテラシーだけでなく基礎学力の低下を生んでいる。

 

他の科目のことは良く判らないが、数学は「積上げ式」の学問だ。試しに中1から中3の数学の教科書を見てもらいたい。

 

中1:正の数/負の数・比例/反比例・平行/ネジレ
中2:文字の式・連立方程式・合同
中3:展開/因数分解・二次方程式・相似  何れも一部

 

同じようなことを、少しづつグレードを上げて習っていく。そしてそれが「高等数学」の基礎となる。現在のゆとり教育は、このような「基礎」部分を脆弱なものにしようとしたのだ。勢い、その上には頑丈な家は建たない。

 

試験の際に評価されるのは「アウトプット」である。だから「インプット(知識)」だけを詰め込めば良いというものではない。「アウトプット(応用力)」が不可欠である。エネルギーのエントロピーを論じるまでも無く、インプット無い所にアウトプットは無い。インプットを如何に高効率でアウトプットに返還するのか、ということから発生する「ゆとり」なら良いが、インプットそのものを「ゆとり」の名のもとに減らしておいてアウトプットだけは従前以上のものを要求するのは無理な話だ。

 

教育とは文字通り「教え、育てる」ことだ。教えることをインプットとするならば育てることはアウトプットではないだろうか。今の日本の「教育」にそれを期待できるだろうか。

 

ゆとり教育の弊害は数値化される学力そのもの以外にもある。学校教育の中で「仲間意識」が過度に強調され「競争意識」ができてこない。クラス全員が「(低めに設定された)到達点」に届きさえすれば良いのだ。これはゆとりとは別の尺度として「競争は差別を生みイジメにつながる」という議論があったのかもしれない。しかしそのため「2割のトップと2割のボトムとその中間の6割」の従来の学力分布を、「9割9分が平均点」に固定してしまった。

 

さて、そういった「基礎学力養成がないがしろにされた中学時代」「競争原理の導入されていない中学時代」を送った子供たちが大学世代となる2006年。大学の教育環境はどう変わるのであろうか。大学の1年生間は『非ゆとり世代とのギャップ埋め』で過ぎてしまうのではないか、と危惧する先生もいらっしゃる。高校が大学の予備教育の場ではなく、大学が高校までの教育の尻拭いをさせられることになるかも。いやその前に入試問題はどうするのだろうか…。「非ゆとり族(浪人)」と「ゆとり族(現役)」で差をつけるのだろうか、つけないとしたらどちらのレベルに合わせるのか。入った後の教育と同時に、入れるためのプロセスも考えなければならないだろう。

 

ではそういうことで。

 

ハンズフリー


通勤途中の楽しみは一杯の缶コーヒー。『ご指定のブランド』を決め毎朝購入している(だから血糖値が下がらない?)。今朝も例によって勤務先までの途中のいつもの自販機でゲットした。


桜の咲く時期になり気温も上昇、だんだん温かい奴の需要が減ることが見込まれるのか、徐々に「冷たい奴」が自販機に納められる割合が大きくなってきた。そういうタイミングは毎年「突如商品の配列が変わる」ことがあり注意しているのだが今朝は不覚だった。


何気なくいつもの暖かい奴をゲットしたつもりが
冷たい奴
だった。

 

気のせいかと思って、念のため頬で温度を確認しようと、車を発進させた後ゲットしたばかりの缶を耳たぶなどに押し当ててみた。次の瞬間、車の外で「その車、止まりなさい!」とのスピーカーからの声。


どの車、と思ったが周りに車は無い。私のことだろうと思いとりあえず「緊急停止」すると、警察官が敬礼してこちらに向かってくる。なんだなんだ!?


「免許証を拝見。今携帯で話しながら運転していましたよね?」


え?そんな朝っぱらからケータイで話をしなければいけないほど私はお忙ししマンではない。会社に着いて事務の子の入れてくれるお茶を飲みながら新聞を読んでから始業ベルを待つ、そういう生活を何年もしていているから、通勤途上にケータイはすぐに使える場所には無い。とりあえず免許証を見せてこう言った。


「いいえ、携帯電話はカバンの中ですよ、何なら通話記録を見ますか?」


確かにケータイはカバンの中だ。警察氏も不思議そうな顔をしていた。


「申しわけない。今、ケータイで話をしているように見えたものですから。朝の忙しい時間帯に停止させて失礼!」


随分低姿勢な警察氏だった。その瞬間私はぴんときた。缶コーヒーだ。


「あ、今コーヒーの温度を確認しようと思ってこれを頬に当てていましたがそれを見間違えましたか?」


と直前の自分の行動を再現してみた。ビンゴのようだった。恐縮しまくっている警察氏を慰めて、勤務先に向かった。紛らわしい行為を反省しながら。


#ケータイが駄目で缶コーヒーなら良いのか?髭剃りはどうなんだろ・・・片手運転には違いないが・・・。

 

 


 


ではそういうことで。

カウンターが1000


記事を書いた時点では987です。

左サイドバーに仕込んだ「忍者ツールズ」のカウンターがまもなく1000をヒットする。


時流に逆らえずブログを始めて1ヶ月、平均で毎日30強カウントのアクセスがある計算だ。お客様に心より感謝。


そこで見事1000番を踏まれた方にはとても豪華な粗品(私の著書、2000年7月某新聞社から出版の奴・・・絶版/売れ残り返本で我が家が潰れそう・・・不要と思うが当方のサイン入りの貴重な一冊)を進呈することにした。是非そうとわかる画面をキャプチャーしてトラックバックして欲しい。待ってるよ!

 

でも、本の送り先個人情報なんかをどうやって得れば良いのだろうか…(謎)。

 

ではそういうことで。

水兵リーベ その2

 

大きな意味も持たずさくっと書いたことが騒ぎになってしまっているようで、ちょっとびっくり。特に「リーベ」がドイツ語だった件について、もはや「水兵さんの名前」のほうがメジャーだという事も判ったりして、自分で言うのもナンだが新鮮。


これを機会に、色々と検索してみた。「リーベがドイツ語」と明記しているサイトも結構あった。そのうちの一つ、asahi.comの「ことばの旅人(2003.10.25)」によれば、アメリカやドイツなど諸外国でこれをどう語呂合わせして教えているかの記述まであって興味深い。「水兵」が「水平」だったり、「七曲シップ」(太陽に吠えろ、みたい・・・)だったり、あるいは(リーベではなく)クラークが人名である、とか諸説あった。単なる覚え方なのでどんなのでも良いとは思うが、芸術的文学的あるは文化的に美しかったりすると思わず嬉しい。


ごくごく一般的にはどんな語呂合わせで教えるのだろうか。あ、奇抜なものじゃなくて、中学あるいは高校で教えて良い奴の話だが。


私はこう覚えた↓。

H HeLi  Be BCNOFNeNa MgAl Si PS ClAr K Ca

水兵リーベ僕の船 七つ間があるシップスクラークか


リーベは前述のとおり「愛する」。クラークは「事務員(clerk)」。したがって…

自分の船を愛している水兵さんは、部屋が7つある船の事務員(!)なの?

という意味なんじゃないかな?。微妙に意味的におかしいし少しも芸術的でないが、私は中学の理科の先生からそう習った記憶がある(30年以上前の話で若干曖昧)。


周期律表の考案者とされるメンデレーエフは、ロシアの「サンクトペテルブルグ」(ソ連時代の地名はレニングラード)の大学の教員だった。「サンクトペテルブルグ」というのは英語読みにすると「セントピータースバーグ」だ。ジョン・ポールを「ヨハネ・パウロ」と読むのと同じで、同じ意味でも場所が変われば綴りも発音も異なる。しかし周期律表は化学の50音・共通だ、当然世界どこに行ってもその順番が変わることは無い。メンデレーエフと周期律表の数奇な運命を考えてみると、感慨深いものがある。
 

ところで、「18禁版」語呂合わせだが、「New!hiroのpage」さんにて紹介の元素記号18禁(タイトル通り18歳未満の方、及び下ネタの嫌いな方はクリックなさいませんよう)を見ていただければ私が細々書く必要は無いと思う。私版はこの引用とは微妙に違うが「パンツが滑って苦しみ歩くケツもカユい」と続いたりするが、もはや単なるネタだからそこのところよろしくお願い、っす(笑)。


ではそういうことで。

 

水兵リーベ

水兵リーベ


 「ゆとり教育」のために02年から中学の化学の教科書から消えていた「周期律表」が、来春復活する(出典:毎日新聞サイエンス5年3月9日 )。


 周期律というのは、元素の原子価・性質などに属性を持たせた一覧表で、現在の形のものは1869年にメンデレーエフ(写真)が完成したものがルーツとされている。メンデレーエフ時代には60種類ほどの元素しか発見されておらず、その「一覧表」はなかなか受け入れられなかったが、現在では当時の「空欄」が埋められ、化学の「五十音表」といわれるほど基本中の基本であり、化学の教科書には必ずのこ一覧が載っていたりした。その「周期律」の表が、教科書から消えたのである。


 教科書から消えた最大の理由は、「水兵リーベ」等の語呂合せで暗記を強いるような教育のし方が、「ゆとり教育」にとって好ましくない存在だったからであろう。暗記を強いるのは問題だが、だからといって教科書から消してしまうことも無かったのに。


 ところで、その「水兵リーベ」であるが、教科書から消える前にこれを習っているはずの現大学院生から恐ろしい証言を得て背筋が凍る覚えがしたことがある。それは、何気なく「リーベって何だ?」って学生諸君に聞いたときの反応だ。


「え、水兵さんの名前でしょ?」


 しかも一人二人が間違っているのではない。違うでしょ君たち。リーベはドイツ語の「愛する」。イッヒリーベディッヒのリーベですよ。「水兵リーベ僕の船」を英語で言えば「The salor man loves his ship」ざんすよ。確かに「水兵リーベ」を習う中学高校でドイツ語というのは無理があるのかもしれない(苦笑)。


 

 そこで、私は新しい「語路合せ」を提唱してみた。ただし、これは下ネタである。したがって、大学の講義ではこれは口が裂けても言えない(セクハラとして認定される?)。もちろん絶対に高校や中学の授業でも(小さな声でも)言えはしない。だからまだ、意味不明の『リーベさんという水兵さん』が良いかもしれない。またブログであろうともそういうネタが嫌いな方もいらっしゃる。そこで、そういうネタが聞きたくない方は今すぐこの場を立ち去って下さい。


 

 

H He Li Be B C N O F Ne
エッチ変態淋病梅毒 僕の 女と二人で寝れば

Na Mg Al Si
ナニが曲がって歩けいそ


お後がよろしいようで。ではそういうことで。

ケータイ空間

アメブロの集中工事前後では色々な変更があった。ユーザーの皆さんのレポートを読んでみると賛否両論渦巻いていて、普段皆さんがどういう使い方を想定していたかが読み取れて楽しい。特に投稿時や管理時のインターフェースの変更は戸惑った。かく言う私も、今まで「見ていただくこと」よりも「書き込むこと」に主眼があったようで、反省しながら今後の運用を考えているところである。


今回の変更点の中で私が感じる特筆すべき点は「ケータイからの閲覧」が相当変わった、ということである。


今までは本文の部分しか見られなかったが、画像がある場合、コメントがある場合、それぞれ簡単に閲覧できる。また、ケータイからコメントを打つこともできる(TBはできない)。トップページからはランキングまで見える。なかなか鋭い。ということで、PC版のトップページにQRコードを貼り付けて、ケータイのバーコード識別から当ブログに入ることができるようにしてみた。


ところが、だ。私のケータイ(auのWIN仕様機)だけの問題かもしれないが、

1)1画面に5記事ずつタイトルが表示される(タイトルをクリックして記事を閲覧する)が、各画面で6記事目の奴が全く表示されない。6件に1記事、シカトされているわけ。

2) 集中工事前に使用できていたタグの一部(sub・sup等)が無視される

などの妙な問題もあるようだ。


私のケータイにブックマークしておいた。出先からもコメント等をチェックできるようになるだろう。ただ、私の場合
指が太すぎ
で、あまりケータイから文字を打つのが上手くない。トホホォ。

 

ケータイとは直接関係無いがRSSのURLが変更になっているそうだ。
http://ameblo.jp/blog/rss.php?uid=doctorsuzuki

これでお願い!


ではそういうことで。

国立大学法人の知的財産管理(その2)

日本の大学における研究成果の取扱いは「論文」「学会」に発表することで日の目を見た。従来の研究者の実績はこの「論文発表」等の質と量で評価されていた。その風潮はいまだに変わっていないが、このことは知的財産的な考えで非常に危険だ。


大学の研究成果を知財化するために避けて通れない問題として「特許」がある。特許法第29条によると特許を取得するためには当該発明が「特許出願時において新しいもの(以下、新規性がある)である」必要がある。特許を受けようとする発明が論文として掲載されたり学会講演などで発表されたりした場合、新規性を失い、特許を受けることができなくなるのが特許法の原則だ。もっともこれでは余りに研究者に対して酷なので、特許法第30条で新規性喪失の例外規定を設けている。


その規程の概要は下記の2点に集約できる。


1)特許法第30条第1項より要約: 新規性を失った日(論文や学会における発表の日)から6ヶ月以内に特許出願した場合
 注:学会発表の場合「特許庁長官指定の学術団体が開催する学会・研究会でなければならない」


2)特許法第30条第4項より要約: 出願の際に「特許法第30条の適用を受けたい」旨を明記し、出願から30日以内に例外規定適用を受けるに足るエビデンスの提出をする


さて、大学研究者に特許法第30条のお話を申し上げると必ず出るリアクションに「学会から6ヶ月以内に出願すれば良いのですね、まだ時間がありますからゆっくり準備しましょう」というのがある。これはできれば避けたい。というか、この考えは禁物である。


学会発表や掲載論文を読んで第三者がその内容で特許出願することは可能だ。例えば学会講演会の翌日、聴講者(B氏)が特許を出願し、それから5か月後に発表者(A氏)が特許法第30条適用を併記して出願したとする。この場合、まず後から申請したA氏の出願は「B氏の出願が先にある」ことを理由に拒否され、さらにB氏の出願は「学会発表による新規性の喪失」により拒否される。即ち誰も特許を得ることができなくなる。


学会発表や掲載論文を読んで、それとほんの僅かに違った特許を聴講者(C氏)によって出願されたらどうなるだろうか。後からA氏が上の例と同様に出願したとすると、この場合、C氏の出願が認められ、A氏の権利は拒絶されることがある。


この例のように、発表前に出願するのが大原則だ。実際に著者(鈴木)が社会人大学院生時代には、ライバル会社によって改良版特許を学会から2週間で提出されてしまい苦汁を飲んだ経験がある。以降学会発表は必ず出願の後に行なうことにしている。その経験が、鈴木を「知財防衛」の専門家にしたトリガーだったわけだが。



 

以下その3に続く。ではそういうことで。


新設「学び・教育」ジャンルに移転

アメブロの36時間にもわたる集中工事が終わり、待望の「学び・教育」ジャンルが新設された。早速この新ジャンルにお引越し。しかし、微妙に操作性等が変わっていささか戸惑いもある、ま、慣れれば大丈夫でしょう、本業もそうだし。


本日から新年度。8年勤めた大学を離れ、別の国立大学法人に移籍。国立大学が個別に法人化して2年目に突入、法人化後の機軸事業たる「私的財産管理・産官学連携の推進」にも微力ながら頑張っていこうと思う。


さて、最近「どうやったら大学の先生になれるの?」という問合わせを良く聞く。この「学び・教育」のジャンルとは少し違うので、別のブログを立ち上げた。「目指せ!大学教授」http://yaplog.jp/doctorsuzuki/ こちらも是非。


ではそういうことで。